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tumblr_lld93vaN1W1qzkgrmo1_500 悪い知識は大切 Quote

信者の知識と教祖の知識

新興宗教に入信した人は、お互いの信仰を競うことになる。教祖の教えにより深く傾倒した人が、信仰を深く理解していることになって、競争を勝ち抜いた人は、兵隊の位が上がる。

新興宗教の教祖になるような人は、たいてい別の教祖に学ぶ。その人の教義を学ぶのでなく、教祖としての振るまいかたや教えの広めかた、教団のまとめかたや、教義に入れておくと便利な教えを、教祖の観察を通じて学ぼうとする。

信者の作りかたと教祖の作りかたは全く異なって、信仰が熱心になるほどに、逆説的に、教祖の椅子は遠ざかっていく。新興宗教だけでなく、あらゆる業界に、「教師から学ぶ人」と、「教師を見て学ぶ人」とがいて、学びの先に到達する場所は、お互い異なってくる。

教祖と信者とがいる組織から、ある日教祖がいなくなってしまうと、信者は迷走してしまう。

教祖を観察するような人は信者として不真面目で、教団の上位に居場所がないし、教団の教えに深く傾倒していた人には、教祖の代わりを務めるのは難しい。教祖の技術を失った教団は、テープレコーダーのように教えを機械的に繰り返すかもしれないし、あるいは「教祖の技術」を習得した誰かを捜して、教団を離れる人が出てくるかもしれない。

教祖を失った組織はたいてい、「純化を目指す人」と「裏切り者」とに分断されて、純化を繰り返していく中で、教団は衰退していく。

今の政府は迷走しているけれど、あれは何となく、「教祖としての学び」を会得した人が誰もいない状況で、「まじめな信者」の集まりが右往左往しているように見える。信仰が深い人というのは間違いなく「まじめ」ではあるけれど、それを運用する人がいなければ、どれだけまじめに教義を極めても、結果にはたどり着けない。


悪い使いかたは大切

知識には「いい使いかた」と「悪い使いかた」とがあって、学んでいく中で、「いい使いかたしか学べない」学問というのは、ありかたとしてどこかにゆがみを抱えている。

医学知識は悪用可能だし、たいていの工学知識も同様で、生産のプロはたいてい、同じ技術で破壊のプロにだってなれる。いい使いかたを学んだ結果として、必然的に悪い使いかたを習得することになる、あるいは深く学んでいく上では悪い知識が欠かせないのが技術であって、「いい使いかたを一生懸命学びました。私は善です」という人は、だからまだ学んでいないのだろうと思う。

「本物のプログラマは、その言語でその言語自身を破壊するコードが書ける」のだという。自分たちは普段、技師さんたちとおしゃべりをするときに、「この病院を破壊するとしたらどうする?」なんて話題を出す。専門ごとに、思いもよらなかった脆い場所を教えてくれたりして、各科の文化を学ぶいい機会になる。

どれだけ堅固に見えるものにも弱い場所がある。技術に通じた人は、弱い場所の突きかたも、回避のやりかたにも通じている。「この技術は完璧だから安全対策など必要ない」と突っぱねた原子力技術の人たちは、そういう意味で「本物の技術者ではなかった」のだろうし、たとえば松下政経塾のような政治家を養成する施設が、、誰かを陥れる方法や安全な賄賂のもらいかた、公衆の面前で誰かを侮辱するときの作法といった「悪い技術」を教えていないのならば、あの場所で教えているのは技術ではないんだと思う。




source : 悪い知識は大切 – レジデント初期研修用資料

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