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via-ak47-lsdmusician 「喪」が欠落してきたっていう話 Quote

 

 「思想地図β Vol.1」シンポジウム トークテーマ:「阪神大震災とゼロ年代の思想」
 
@4月9日心斎橋Standard Bookstore
 
出演:東浩紀、浅子佳英、鈴木謙介、福嶋亮大
 
これは震災以前から企画されていたイベントだが、やはりこのタイミングで震災について語らない手はないということでこのようなテーマに急遽変更になったのだ。当日の様子はTogetterなどで断片的に伝えられているが、いつものニコ生やラジオなどのトークと比べるとやはり難しいテーマなので歯切れが悪いようだった。特に後半、東さんのテンションがどうにも落ちていくのだった。当日の東さんの話をかいつまんでみると、「今度の震災は「戦後」という従来のくくり自体を無効にするもので終戦以来ぐらいの節目と考えるべきだ」「この60年間、日本の文化は「思想」とか「批評」とかを重視してこなかった。なにを重要視してきたかというと「土建」である。つまり下部構造でひっぱってきた60年だった。今回、多くの死者がでた。しかし、数万の死者がでたという事実に対して我々はリアリティが持てない。それはこの60年間、この国の文化は「喪」「弔う」ということをキチンとしてこなかった、これから自分は文化の「喪」に携わる仕事をするしかないだろう。311以前のあの、ぬるいチャラチャラした日々が遠い昔のようだ。あのぬるい感じを記録するのも批評の仕事だ」大雑把だがこんな感じの話をされた」
 
司会者「「喪」が欠落してきたっていう話はドキっとしましたね」
 
kenzee「鈴木謙介さんはこのように語った。まず、震災以降の宮台真司さんのツイッターでの発言はいかがなものかという話から始まり、今回のような大きな災害に対して合理的に説明できる人間はいない。どうしたって納得のいかない話なのだ。人間の社会はこういう説明のつかない事態に遭遇したとき宗教を機能させてきた。つまり、白土三平的なアレだろう。しかし、戦後、特に90年代以降の日本の社会はオウムと阪神大震災の95年を境に宗教アレルギーになってしまった。結局、95年以降、宗教とまともに向き合った作家は村上春樹ぐらいで、宗教の持つ機能はないがしろにされたまま、311を迎えてしまった。もう一度95年を振り返ってみるなら、宮台氏が当時(オウム、震災前)雑誌で「考えることはいいこととされてきたが、考えることが害悪に繋がる事象もある。だからギャルの子とか「あえて」考えないことも大事で「考えなくてオッケー」という発言があった。だが、95以降、「やっぱり考えることも大事だね」みたいな話になっててズコーッみたいなことがあった」
 
司会者「超手短にまとめてますので。宮台さんなりの文脈があっての転向だと思います」
 
kenzee「ボクは関西人なので95年の震災の前後のカルチャーの空気の変化には思い当たるフシがあるので付け加えさせていただくと宮台さんの「考えなくてオッケー」というのは今の視点から見るとすごく無責任な発言に思えるが、逆にボクにはリアルにあの頃の空気を的確に言い当てている気がする。「考えなくてオッケー」というのは要は小沢健二の「LIFE」なんですよ。

 
 
 
source : 躁と喪: 文芸誌をナナメに読むブログ(書評)