緒方純子

1962年生まれ。元幼稚園教諭。短大を出て、1982年ごろから自宅近くの幼稚園に教諭として勤務。約3年で退職。
優等生だが、自己評価が低く、松永以前は異性との交際関係が一度だけだった。
厳格な父親(門限19時)に育てられた。世間知らず。学生時代、リーダー的な妹に比べ、優しく他人を思いやる一面があったと、妹の友人が当時の印象を振り返る。
授業中、目を離したすきに園児がけがをした。関係者によると、父親と名乗る暴力団関係者がどなり込んできたという。勤務して、わずか2か月後の出来事。このトラブルの相談相手になったのが松永。以来、2人の親密な交際が始まった。
松永との交際は緒方家で反対される。が、松永が提出した婚約確認書(妻子とは別れます。緒方家の婿養子になります)に父親の誉はだまされ、松永を気に入る。母静美はこの婚約確認書を信用していなかった。
松永は純子に、業績は順調で、松永自身も芸能界からスカウトされていると、松永が自分にはもったいない存在と抱かせる。一方で(婿養子になるため)事業をやめ、芸能界進出の夢もあきらめなければならないなど、彼女に自責の念を抱かせた。
松永は、自分には不釣合いな大きな存在として畏敬の念を抱き、尊敬するようになる。
松永より、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れられた。
松永と出会う前は、男性経験は一度だけ。男性が一方的に腰を振るだけで感じなかった。
松永によりセックスに目覚める。以後、積極的に松永を求め、マインドコントロールとともに、松永のセックスから逃れられない身体になる。
悪質布団販売の事務員になり、この頃から従業員に通電など虐待に加担していた。
松永による暗示的な指示(強要)の元、通電の暴行、多くの殺害を実行したが「これは現実ではない」「やらなければ、自分がやられる」と心を閉ざすことで犯行を正当化していた。
世間体を気にして松永を排除する家族に反発するようになる。
父親に電話で投資話を持ちかけていた。
昭和60年2月13日、自宅で睡眠薬数錠を服用した上、左手首を切って自殺を図った。しかし病院に搬送され一命をとりとめる。
自殺未遂の後、さらに松永に取り込まれ、心酔するようになる。
結婚詐欺には純子も、松永の姉として犯行に及んだ。

湯布院事件

1997年4月、純子は1歳になった次男を久留米市の伯母へ預け、湯布院でホステスとして働き始めた。長男はマンションに置いたままで、世話は少女A(仮称虎谷沙織)にみさせていた 殺人の共犯者でもあり奴隷でもあった純子に逃げられた松永は、取り戻すべく一計を案じて純子の母静美に連絡をとった。このとき、松永と静美の肉体関係はまだ続いており、彼は以前より「純子のせいで殺人や詐欺の片棒をかつがされた」と静美に吹き込んでいた。そのため、緒方家の世間体を案じた誉、静美、妹理恵子が話し合いのため松永のマンションへ出向くことになった。カリスマ性のある松永の話術の罠にかかり、純子を殺人の正犯だと思い込み、従うようになる。 明け方まで寝かせず同じことを何度も何度も執拗に繰り返し、相手の一番弱い所(名家の緒方家にとって、これは世間体だった)を突く、自尊心をくすぐって持ち上げては落とすことを繰り返す。松永は「緒方家から殺人犯を出してもいいのですか、マスコミの餌食にされますよ」「家の名誉を何だと思っているのですか」と緒方一族を追い込む。

湯布院事件松永の葬式

松永が純子を取り戻す計画を緒方家に打ち明ける。計画は「私が死んだということにして葬式を出しましょう。そうすれば純子は帰ってくるだろうから芝居に協力して下さい」
と緒方一族に言いくるめた。罠にはまり帰ってきた純子は、押入れに隠れていた松永に取り押さえられて殴られ、彼女は家族の前で通電を受けた。純子にとってはこの時、騙されたことよりも、家族が松永の味方をしたばかりか、彼の支配下、奴隷化の状況に置かれてしまったことの方がショックだったという。 なお、松永が公立高校退学後、私立筑邦高校に編入した前後に短期間、交際していた(松永の証言による)妹理恵子は、この葬式事件の頃に松永に犯され、その後、主也には秘密の肉体関係が続くことになる。

松永の遺書の内容

偽装工作として遺書を作成した。内容はあまり公開されていない。
「まさか俺が死ぬとは思わなかっただろう、でも本当だ」~中略~「俺は死んだらお前の中に入っていくことができる、そしてずっとお前と子供を守っていく」

緒方が湯布院で働いたスナック女将にあてた手紙

公判にて「今はこうなってしまって人は笑うかもしれませんが、でも、私も主人も、やっぱり愛しているのだと思います」~中略~「おなかが張って苦しい時があったのですが、そのとき彼が私の中に入ってきたのだと思いました」~中略~「創価学会の集会に出て具合が悪くなり、当時、そう思ったと」
上記内容に、検察官は「やっぱり愛しているのだと思います」というのは本当にそう思った?この質問に対し、緒方は「当時の女将に本当のこと言えないから、もちろん本当の事書けないけど、、、擬似的なものだったのかもしれません」と語った。
供述から、緒方が湯布院で創価学会の集会に出席したことが伺えるが、誘われてたまたま出席したのか、正会員かは特定できない。

湯布院事件事後処理

松永は純子に命じて、湯布院で世話になっていた人々に電話をかけさせ、罵倒させて絆を断たせた。味方と逃げ場を失くすため。
もう逆らう気力もなく純子はこれに従い、見ず知らずの自分に親切にしてくれたスナック経営者や紹介者に「あんな安い給料でこき使いやがって、バカにしてるのか」「親切ヅラして私をスナックへ売り飛ばしただろう」と松永に命じられるがままに悪態をついた。

湯布院事件の後

松永はその後、純子がマンションで虎谷久美雄を殺害、死体をバラバラにしたことを緒方家の3人に告げ、「家の名誉のため、証拠を隠滅しなくては」と言って配管工事をさせている。これによって彼らに共犯者の負い目を感じさせることが目的だった。その上で彼は緒方家の人々に「純子は詐欺、殺人などで指名手配となっています。なんとか私が彼女の面倒をみながら逃げ切ってみせますから、さしあたり5年分の逃走資金を調達して下さい」と言った。この5年分の逃走資金として呈示した額は、3000万円である。緒方家の人々はそんな金はないと言ったが、松永は土地を担保に借りろと強要。しかし土地の名義は、祖父のものになっていた。
純子は湯布院に逃げるまでは少女A(仮称虎谷沙織)より奴隷階級のでは上であったが、松永の葬式、帰宅の後は少女Aより奴隷階級が下に落ちる。その後、行動を少女Aに監視させられる。少女Aは、父親を虐待、殺害した純子に憎悪を燃やしている。現在も純子の死刑を望んでいる。

JR小倉駅事件JR門司駅事件

97年5月ころ、松永の指示で、少女A(仮称虎谷沙織)と共に、郵便物を投函するなどのため山口県下関市内に行く。帰途、いっそ逃げ出して自殺しようなどと考える、とっさに「JR門司駅」で発車直前の電車から飛び降り、タクシーに乗車して逃走しようとした。
しかし、沙織が純子を追いかけ、乗り込んだタクシーのドアを叩いて騒いだので周囲に人が集まり「警察を呼ぼうか」などと言われ逃走を断念。
JR小倉駅事件から松永が、マンションに連れ帰ると通電等の激しい制裁を加えた。松永が「なぜ逃げたんだ」と聞くので、松永が「電気が怖かったんです」と答えたところ、松永は「電気が怖いなんて、電気はお前の友達だろう。」「お前だって、虎谷に電気通したじゃないか。虎谷には良くて、お前はいけないのか。」などと言って責めた。松永は「電気は私の友達ですと言って笑え」と命じられ、そのとおりにした。松永はそれを見て嬉しそうに笑った。激しい通電は、門司駅事件の約1か月後まで続き、その後は、なくなることはなかったが、回数が減った。松永は、少女Aに、「(被告人Bの)太股を蹴っておいて良かっただろう。」「スリッパ
履きにして良かっただろう。」などと言い「今後も逃げられないようにきちんと見張ってお
けよ」と指示した。

殿様松永の正妻争い

殿様である松永は、緒方家の女性と少女Aから、正妻を日々替えた。正妻は純子のほかに、母静美、妹理恵子、少女Aの虎谷沙織(仮称)の四名で争われる。純子は、正妻争いに三人(特に沙織)に激しい憎悪の念を燃やすも、日々変わる正妻の命令には逆らえなかった。

拘置所にて接見した女性が語る緒方純子の印象

※原文のまま
「瞳のきれいな女性。謙虚で自分のことよりも人のことを思いやれることができる素敵な人」
「彼女が松永と出会って人生めちゃくちゃにされたことに同情する。死刑判決だけは出て欲しくない。(出ないだろうけどね)」
「彼女が家族を殺してしまって、数々の人の人生を狂わせてしまったことは深い罪だと思うけれど、彼女の根本的な人格まで否定するのは止めて欲しい」
彼女は「私の遺骨は残して欲しくない」と言っています。とても寂しいことです。
息子さん達が彼女の支えとなって今後の人生を静かに過ごして欲しいと思っています。

高裁、第一回公判、精神鑑定の申請

一転して無罪を主張、「松永太被告(45)からの通電暴行で行動を制御できない状態だった」として精神鑑定を申請した。
緒方被告の弁護側は「虐待によって責任能力は喪失、または減弱していた」と訴えており、心理面から松永被告による「支配の構図」を明らかにする狙いだ。「支配により人格変化や解離症状が見られる」とする精神科医の意見書も1審に続いて提出し、証拠採用された。
一方、松永被告は「緒方被告は別の殺人事件を起こしていた」と新たな主張を展開した。
一連の事件の発覚から4年10か月。遺族らは「責任の押し付け合いだ」とやりきれなさを募らせた。
両被告は1審判決を不服として控訴。緒方被告は控訴審で「様々な暴行や強制、電気ショックなどが繰り返され、誰よりも悲惨で長期にわたる虐待を受けた。責任能力はなく、松永被告に間接正犯が成立する」と主張。
「松永被告の意思や行動を絶対視する人格変化と、感情や現実感を喪失する解離症状が表れた」とする精神科医による鑑定意見書を提出した。ただ、精神鑑定申請は却下された。

緒方誉(たかしげ)

平成9年(97年)12月21日死亡(虎谷久美雄殺害から1年10ヵ月後)純子に頭部への通電で殺害(傷害致死)される。享年61歳。農協関連団体(安武土地改良区)の副理事。次期理事長の最有力候補であった。
2ヘクタールの田畑と大型のコンバインを持つ裕福な農家。
タイヤ部材メーカーにも勤め、収入は多かった。
厳格な性格。集落の2/3を占める緒方家の本家。名門(誉の父は村会議員)緒方家の名誉を大切にしている。松永の「緒方家から殺人犯を出したくない」「時効までの辛抱」に言いくるまれて一家全滅の地獄を見る。
監禁されて通電もされながらも、97年8月、緒方家は「緒方誉」名義で、農協から3000万を借り入れた。
3000万の担保は祖父名義の土地。その際、主也はこの借入書の保証人になっているが、その前に松永に「主也さん、これ以上、緒方家の奴隷になっていることはない」と唆され、住民票の住所を変えていた。それを忘れてもとの住所のまま書類を作成してしまったことを松永は「文書偽造だ」と責め、それを何度も何度も明け方まで眠らせずに繰り返す得意の手口で、主也を追い詰めていく。
 「純子が柳川の男にだまされている」。親類中で松永への非難が高まっていく中で、誉はいつのまにか、松永の会社の布団販売を手伝うようになっていたという。
親しかった地元の市議は、農協から借りた三千万円と引き出した預金一千万円を、松永被告に渡したことを緒方家の親類から耳打ちされた。「あんたらしくない。変な商売はやめろ!」と、市議は誉さん宅に駆けつけ、語気を強めた。が、誉さんからは信じがたい言葉が返ってきた。 「あの男は、いずれは自分たちを幸せにしてくれる……」と。あとは何を言っても話をそらすだけ。松永被告に一家の運命を託したかのようだった。
松永は言いがかりをつけて緒方家の大人たちを並べて正座させ、その場で純子に命じて父誉を通電によって殺させた。死体は残された緒方家の面々が処理せざるを得ない。虎谷の死体と同様の手段で、解体し海に捨てたという。

緒方静美

1940年生まれ。誉殺害から2ヵ月後、平成10年(98年)1月20日、主也が首を電気コードで絞め付け、理恵子が両手で足を押さえ、窒息死。享年58歳。
静美44歳(1984年 昭和59年)から松永20代とは15年以上も肉体関係が続く。最初は純子と別れさせるために単身、交渉に臨んだが言いくるめられ、松永23歳と郊外のラブホテルで関係を持つようになる。当初は強姦だったと思われる(※純子の供述)が、その後、松永とのセックスに溺れ、積極的に松永を求めるようになる。
情事を録画され「旦那にバラす」など脅迫された。しかし、近所では松永と仲良く手を組み歩く姿が目撃され噂になるなど、松永に好意を抱いていた。誉はこの関係に気づきはじめ警戒していた。
松永は、静美が「わたしが(純子の)代わりに交際するから(純子とは)別れて欲しい」と語ったと供述している。
祖母、静美さんは立て続けに事故を起こした。側溝、田んぼと車を突っ込ませた。首を痛め、病院へ。そこで偶然、高校時代の同級生だった女性と会った。「死にそこなったわね」。女性(63)は冗談のつもりで言ったが、静美さんに笑顔はなかった。
監禁後は通電、マインドコントロールで、心が砕け、夫誉、娘純子の前でも支配者松永とのセックスに溺れる。夫の前で媚態を晒すなど恥じることなく積極的に性奴隷となる。正妻のときは側室純子に対し高圧的な態度をとる。
静美、理恵子と松永の関係は純子も法廷供述で認めている。ただし、純子は「(最初は)母は強姦されたのではないか」と供述している。
主也夫妻が監禁されると娘純子、理恵子、少女A(仮称虎谷沙織)と松永の正妻の座を奪いあう。
義理の息子主也とセックスを強要され娘理恵子との絆を破壊される。
通電と心理的負担によって精神に異常をきたした静美が殺害される。しつこく何度も殺害をほのめかされ、追い込まれた被害者たちの中から主也が暗に指名されて絞殺。遺体は理恵子が虎谷誉の死体と同様の手段で解体。遺体の解体は98年2月上旬までに終了した。純子は「静美が便秘していたため腸内に多量の便が詰まっていたことと、皮下脂肪が多くて切りにくかったと理恵子がこぼしていたということが印象に残っている」と供述している。

緒方理恵子主也が同居するようになった理由

97年4月の湯布院事件後から、同5月の門司駅事件後からは、緒方理恵子主也一家は毎日、仕事を終えてから、福岡県久留米市内の自宅を車で出て、午後9時か10時ころ北九州市内のマンションに到着し、翌朝未明まで過ごしてから再び車を運転して帰宅するという過酷な生活を続けるようになった。緒方理恵子主也一家にとって、その身体的精神的負
担は非常に大きく、理恵子と主也は睡眠不足のため交通事故を起こしたほどである。当然、勤務先での仕事、家業の農業等にも重大な支障を来したと考えられる。
緒方理恵子主也一家はこのような厳しい生活を続けた末に、優貴と彩は97年7月下旬ころから、理恵子主也は97年9月ころから、誉と静美は97年12月ころから、それまでの生活の本拠である福岡県久留米市内の自宅に居住せず、マンションで松永純子両名と同居するようになった。
緒方理恵子主也一家は逃亡や反抗を計画したことは一度もなく、知人らに対し自分たちの身の上に起きた事情を全く話さなかった。
失跡後の理恵子さんは一度だけ、親類に電話を入れたことがある。「異常な気配」が漂う電話だった。 「お姉ちゃん(純子)のことを悪くいわないで」。理恵子さんは早口でまくしたてた。「そんなことより、今どこにいるの?」。そう問いかけても、答えはなかった。「お姉ちゃん……、お姉ちゃん……」と繰り返し、その先の言葉が続かない。そのうち嗚咽(おえつ)が漏れてきた。この時、親類は背後で男のせっつくような声を聞いた。「理恵子は何かを言わされようとしている」。命令口調の男。主也さんの「やさしい声」とは明らかに違った。
緒方理恵子主也一家に対し松永は「右翼団体と繋がりがある」「盗聴器を使用している」など恫喝し恐怖心を煽った。

緒方理恵子

98年2月10日(静美殺害から20日後)殺害。享年33歳。
純子の妹。姉純子より気が強く、美人。学生時代は同学年の女生徒のリーダー的存在。千葉県警主也との交際前に中絶経験あり。結婚後も勤務先(八女市の歯科医師会館)で不倫をしている。
理恵子が高校時代、花火大会で知り合い、松永と短期間だが交際し、すでに肉体関係だった。純子の妹とは知らなかった(松永の証言による)
純子を取り戻すとき、緒方一家の葬式の時に松永と再び肉体関係になる。
97年4月ごろから、理恵子は「遅くなると(主也に)ばれるけん、2時間勝負よ」といい、松永とラブホテルで情事を重ねた。誉が死亡した後も関係は続いた※松永による法廷供述。
97年8月中旬、松永に肉体関係を暴露される。嫉妬心に煽られた主也に小倉のビジネスホテルに閉じ込められ、過去、堕胎したことを聞きだされ、首を絞められ「殺してやる」などと暴行を受けた。
上記の件で、主也は、松永に「警察に通報したら殺人未遂になるのでは」などと脅される。また「ビジネスホテルで妻を殺害未遂した事実を認める」上申書を書かされている。
静美、理恵子と松永の肉体関係は純子も法廷供述で認めている。
純子が殺人を犯したことを聞かされ、主也が交渉に乗り込む時には、すでに松永との愛欲に溺れる身体になっていた。
「主也が明け方にセックスをもとめてきて困る」「主也との交際前に中絶した」など理恵子の大親友さえ知らない秘密を松永に打ち明けていた。
夫主也が交渉に乗り込んだ際、逆に主也は松永に言いくるめられ、酒の勢いもあり、主也が理恵子を含む緒方一族の頭部を殴る。さらにその後、夫主也は妹純子、母静江と共に妻理恵子の女性器に通電してしまう。
酒に酔い、松永と意気投合した夫主也に殴られ、通電に心が砕かれ、理性的で気丈な性格が一転して松永に屈服し、さらに服従するようになる。
シャワー、歯磨きを許可され、優しく接してきた松永が寝室へ招く。主也のいる初夜の当初は夫への罪悪感、羞恥心から泣き震えていたが、やがて、女性器への舌戯の快楽に溺れるようになる。妻の初夜の情事を目撃した主也はやめるよう反撃を試みるが、逆に純子に通電され主也は自尊心を砕かれる。快楽に溺れている中、そんきょの姿勢で見ている主也の前で自ら積極的に松永を求め、媚態をさらし、媚声を発するようになる。
(主也のいる)初夜の後も、そんきょして屈服している夫主也の前で、自ら松永を求める告白を何度もさせられる。このように母静美と同じ心理的変化を経て松永の性奴隷に変貌し、夫婦関係を破壊される。
主也と離婚する事実確認書に連名で署名させられている。また、カセットテープに離婚の告白を録音させている。その際、両親も離婚に異議がないことも録音している。
妹純子、母静美、少女A(仮称虎谷礼子)はライバルとなり、互いに正妻の座を得ようとする。正妻はセックスの前にシャワー、歯磨きを許可され、事後も殿様である松永とベットで睡眠。側室に落ちると寝る場所がソファ、板の間、浴室、立ったまま寝ると、ランクが分かれる。食事も差がつけられる。
松永の指示で純子が母静美、理恵子を全裸で仰向けに並べて寝かせ、同時に女性器へ通電されていた。
理恵子の女性器への通電の指示は「(松永の子供を妊娠していたため)流産させるためではないか」と純子が供述している。
主也による乳首、女性器への通電や、ビジネスホテルで首を絞められた暴行から、逆に主也に通電や投打による暴行など虐待をするようになる。精神異常になった母静美を主也とともに殺害すると、ますます支配者松永への依存度を高める。だが、結果的には誉静美の次に、夫と娘に殺害されることになる。

理恵子殺害前後の状況

通電、食事制限により理恵子は耳が遠くなっていた。あるとき松永の指示内容をめぐり理恵子と娘彩(10才)と口論になった。これをきっかけに「理恵子も頭がおかしくなっとるとね。どうすればいいかお前ら(純子、主也、彩)で考えろ!」といい「俺が起きるまでに終わらせとけ」と純子、主也、彩を浴室に押し込めた。(浴室が理恵子の監禁場)あたり前だがこのとき純子も主也もできれば自らの手を汚したくはなかった。ここで純子は次のようなことを考えた。「理恵子を殺しますか?」と松永に聞きに行くことだ。しかし「理恵子を殺しますか?」という問いに松永は「そうしろ」とは言わない。なぜなら、松永は殺害に関する決定や指示を直接はしないからだ。しかしこの試みは実現しなかった。浴室のドアノブが壊れて運悪くドアが開かなかったため、松永に聞きに行くことができなかった。松永は3~4時間で起きてくる。それまでに終わらせなければ通電を受けることになる。かくして純子と主也にとって残された方法はひとつしかなかった。殺すということ。
娘彩(当時10歳)に両手で足を押さえさせ、主也により電気コードで首を絞められ殺害される。夫婦の最後の会話は「ともちゃん、わたし死ぬと?」「理恵子、すまんな」とのこと。殺害後「とうとう、自分の妻まで殺してしまった!」と号泣した。なお、理恵子は殺害される前に松永の子を妊娠していた。

緒方主也

98年4月8日死亡(理恵子から2ヵ月後)享年38歳。元千葉県警の警察官、理恵子の婿養子となる(旧姓北島)
高校卒業後、警察官を目指して勉強する傍ら、ガソリンスタンドでアルバイトをした。その時の給料で母親に腕時計をプレゼントした。母親は、今も大切に使い「本当に母親思いの息子でした」と語る。
警察退職後は農協職員(福岡県久留米市の三潴町筑後川土地改良区事務所)
松永のことは、当初、久留米大学法学部法律学科中退と聞かされていた。
元警察官であり実務としての法律犯罪に詳しい。疑問として「なぜ気力、胆力、体力もある元警察官が、体格が小さく、小心者の松永に屈服したのか?」がある。
主也が農協職員になれたのは義理の父誉が農協関連団体の副理事の力が大きい。農協から30年の住宅ローンを借りていて、家族から殺人者を出すと農協を退職させられ人生設計が狂うという負い目もあった。
1997年6月、妻理恵子が毎晩外出していることに気を揉んだ主也(緒方家の婿養子)は、彼女を問い詰めた。理恵子は渋々、姉の純子が犯罪者であることを打ち明けた。
元千葉県警である主也はそれを聞き「松永が義姉をたぶらかしたに違いない」として松永に面会した。
松永は一目で主也の性格を見抜いた。警察公務員と農協しか社会経験のない純朴さ、婿養子であることの心の引け目、隠された男のプライド。松永は彼に酒を飲ませ「あなたが跡取りなのに未だに土地の名義は先々代さんらしいじゃないですか。バカにされてるんですよ」「緒方家の中じゃあなた、単なる種馬扱いだと言うじゃありませんか、人をなめるのもいい加減にしろという感じですねえ」「(静美さんの)キャベツ栽培の収穫を(農協勤務)帰宅後、手伝わせるなんて男としての誇りはないんですか?」「理恵子さんは意外に男癖が悪いそうで。静美さんといい緒方家の女性は発展家の血筋のようですな」とさんざん吹き込んだ。静美の相手とはもちろん松永本人のことなのだが、これは実際地元でも相当噂になっていたらしい。そしてこの時、すでに妻理恵子もまた松永と肉体関係であった。赤子の手をひねるように松永に乗せられてしまった。松永の「あなたがお人よしなのをいいことに、こんなにコケにされ続けて腹がおさまらないでしょう。あんな人たちは殴ってやったってバチは当たりませんよ」の言葉のままに、誉、理恵子の頭を殴ったという。もちろん酔いが醒めてしまえばただちに後悔し、自己嫌悪することになるのだが。こうして、やすやすと松永のかけた罠に捕らえられた主也は、その後、二人の子供までも松永に預けてしまうことになる。そしてこの直後あたりから、松永の緒方家への通電も始まった。
また逆に理恵子から「主也が明け方にセックスをもとめてきて困る」などの話を聞き「無理やり迫るとは何事だ!女性を侮辱している!」と難癖をつけ、今度は主也を攻め立てている。元警察官であった主也でさえ奴隷化されていった理由はこうした心理的ダメージによるものだった。
姿を消したとみられる日の数日前、幼なじみの親友を訪ねた。不在とわかると、寂しそうに背中を向けた。親友は妻から「主也さんは何か言いたそうだった」と聞かされた。
この少し前には、親類の結婚式に出席し、泣いた。テーブルに突っ伏したまま、いつまでも泣き続けた。
睡眠不足と心労により、主也は97年9月以降、農協へ出勤できなくなった。そして主也への通電も、ほぼ同時期に始まっている。
緒方一族は自由に外出することも禁じられ、完全に松永へ精神的に隷属した。松永の促すままに農協から金を借りては渡し、まだ残っている水田を売却すべく手続きに奔走した。その一方、松永は「書面作成」の腕前を発揮し、彼らに「我々が失踪したのは土地の売却を親族に邪魔されたせいである」「私(主也)は妻の首を絞めて殺害をもくろんだ事実を認める(※松永自らが理恵子との肉体関係を暴露し、彼の嫉妬心を煽った果ての行為である)」など何通もの書類を作らせては署名させた。精神的に支配されきっていた緒方家の人々は、これに法的拘束力があるとたやすく信じた。
しかし祖父や親族が簡単に土地の売却が親族に強硬につっぱねられ、警察が動き始めたことも知らされた松永は、緒方家はもう金にならないと判断した。なおそれまでに彼が緒方家から搾り取った金は、6300万円にのぼるという。
理恵子とともに義理の母静美を殺害。娘彩とともに妻理恵子殺害の後も、松永の家来として運転手として市街へ出ていた。

主也殺害の状況

主也は度重なる食事制限や通電のため足が動かなくなっていた。駐車場まで行くときもまともに歩けず道路に何度もしゃがみこんだ。死の数日まえ主也は、松永の愛人宅に向かうよう車の運転を指示された。ファミリーレストランで時間をつぶすよういわれ、なるべく量の多いものを頼むよう指示された。その間主也と純子はどんぶりとうどんのセットを注文した。時間がたっても松永が戻ってこないため、また携帯で指示を仰ぐと追加でなにか注文しろといわれ、さらにメンチカツを注文した。そのときはたらふくたいらげ元気だったのだが、翌日、滝のように嘔吐しだした。松永は油っこいものばかり食べるからそうなるんだと怒り通電を加えようとしたが、衰弱がひどかったので胃薬をのませて娘彩に様子を見させた。そのうち顔も上げられぬほど弱り胃薬も飲めなくなった。それから松永が値段の高い栄養ドリンクをもって様子をみに浴槽にいった。数分して出てきたとき「(高価な)栄養ドリンクとビールなら飲めたぞ」と300mlのビール缶をカラカラ振ってでてきた。本当に自力で飲んだのか、松永に無理やり飲まされたのかは誰も見ていなかったが、約1時間後主也氏は絶命した。松永は主也が死ぬ間際に「元警察官たるものが!」と怒鳴ったという。

98年4月8日死亡から4月下旬にかけて緒方と彩ちゃんの手により主也氏の遺体は解体された。「腹腔内にはコールタールのような、少し粘着性のある、一見すると黒っぽく見えるほどに濃い緑色の液体が広がっており、何かが腐敗したような、これまで経験したことがない重たい感じのする臭いがした」(論告書)
後の鑑定では、主也氏の死因は『高度の飢餓状態に基づく』、『緑膿菌等の腐敗菌による腹膜炎』と断定された。

理恵子主也が子供を松永に会わせた状況

理恵子主也は、当初、安全のため子供を松永に引き合わせなかった。
松永の執拗な「子供を連れてきなさい」という誘いを断り切れず、ついには「花火大会もあるから、お子さんも連れてきなさいよ」という松永の甘言を断り切れずに陥落した。
連れていったが最後、二人の子供は、そのまま人質とされ、更には虐待され殺害されるに到るという悲惨な結末に結び付いていく。

緒方優貴

98年5月17日死亡(主也から40日後)
死亡時5歳。3歳の頃からきちんと挨拶のできるかわいい児童だった。
保育園の同じクラスにいた足が不自由な女の子に、毎日「おはよう」と挨拶をする。女の子の様子を保育士に知らせるなど優しい性格。
姉の彩とは、仲の良い姉弟であった。
おかあさん子。紙芝居の途中でも、理恵子さんの姿が見えると、一目散に駆け出した。理恵子さんは「ゆっくん」と呼んで抱きしめた。
松永は「生かせておくと、源義経のように復讐される」と純子に殺害を示唆した。
97年5月、少女A(仮称虎谷沙織)が両足首あたりを押さえ、純子が両腕を押さえ、彩がロープで首を絞め窒息死。実行犯は純子と彩。
彩は優貴に「お母さんの所に連れて行ってあげるね」と首に電気コードを通した。松永は遺体解体の道具を買いにいかせる際「道具は多めに買って来い」と指示した。

緒方彩

98年6月7日死亡(優貴から20日後)死亡時10歳。
捨て犬の飼い主を暗くなるまで探したりする優しい女の子。
96年6月の夕暮れ時。小学校のグラウンドに、彩ちゃんは、ぽつんとたたずんだ。その前に体育着の子どもたちが並んだ。「緒方彩です。今までありがとうございました」と、ちょこんと頭を下げた。陸上クラブの仲間への、お別れのあいさつだった。彩さんの少し離れたところでは、母の理恵子さんが娘の様子を見つめていた。クラブ退会の申し出は、理恵子さんから突然あった。「なんで? 彩ちゃんはやる気もあるのに」。指導員は引き留めようとしたが、理恵子さんからは歯切れの悪い答えしか返ってこなかったという。
両親を殺害した後「父親の実家に優貴と二人で帰ります。何も言いません。何も言いません」と、懸命にそう誓う彩ちゃんに対し、松永はこう言い聞かせたという。
「彩ちゃんがそう言っても、もし優貴君が何か言って、警察が動いたりしたら、彩ちゃん自身も犯罪を犯しているんだから、そのことで警察に捕まってしまうよ」
少女A(仮称虎谷沙織)と純子により、両手両足をスノコにひもで縛り付け顔面への30分にわたり通電(もっとも思考能力を失わせる)
松永の巧みな話術で「死にたい」と思わせていった。
通電している間、純子は「がんばれ、がんばれ」と励ましたそうである。
松永は、彩は殺人にも解体にも関わってきたので負い目があるから秘密は守れるが
「死んだお母さんのところに帰してあげたほうがいいんじゃない」と殺人を示唆。
自分の母や弟を殺害してしまった10歳の少女に、もはや生きる希望はなかった。
6月7日に感電死または窒息死。
殺害される前には小さくうなずき、死を受け入れ一切抵抗をしないばかりか、首を絞められる際には、絞めやすいように自ら10cmほど首を持ち上げたという。純子は沙織に共犯になるよう、電気コードで首を絞める際は片方を持たせ両方から締上げた。
J-POPのSpeedやGLAYの大ファンだった。
松永の指示により、父主也に強姦されている。松永に犯されたという証言はない。
純子は、当初、少女Aが生かされているから、(松永の指示があるまで)彩も殺されないだろうと思っていた。彩は利発だし、若くてきれいなので利用価値がある。
松永はこうして緒方一家を皆殺しにしてしまった後も、純子に向かって「お前が湯布院へ逃げたせいで、全員を殺す羽目になった」と、この期に及んでさえすべてを彼女のせいにするのを忘れなかった。純子自殺、完全犯罪への布石だと思われる。こうして緒方家の人間は半年の間に(純子を除き)全員いなくなった。

少女Aの父親虎谷久美雄

優しいが優柔不断な性格。不動産会社勤務。松永と同い年。
離婚して10歳の娘とともに暮らしていた。
松永は「新会社(コンピュータを使って競馬の予想)を設立するから共同出資者にならないか」と持ちかけ、連日酒の席へ連れ出して、言葉たくみに些細な軽犯罪「不動産屋で退去した部屋の消毒を行わず、代金を着服した」の過去等を聞き出した。この些細な件を「事実関係証明書」と題され「私は部屋の消毒~の犯罪を犯した事実を証明します」を作成した。
松永のやり口は、内容は言いがかり同然でもとにかく執拗で、何度も何度も繰り返し相手の弱いところを長時間にわたって突いていくというものである。これをやられると虎谷久美雄をはじめ被害者は次第に消耗して、自分の言い分さえ見失ってしまうのだった。計画がうまくいくまでの生活費は、純子に実家へ電話させ、泣き落としで送金させた。この金額も1997年まで63回に分けて、1500万円以上にのぼったという。
その後、久美雄は松永から、多額の借金を負わせられる。
「わたくし久美雄が娘沙織に対し頻繁に性的な嫌がらせをしていた」など身に覚えのない事柄を事細かに記載した書面を作成させた後「沙織に対して性的いたずらをした」旨を自認する事実関係証明書を作成させた。
また松永は純子と共に、久美雄に純子を強姦するよう示唆、強姦未遂事件を仕立て「緒方純子に対して強姦未遂を犯した」旨の事実関係証明書を作成させた。口止め料、慰謝料
等の名目で、さらに多額の金を要求した。
娘玲子と「電気のボクシング」をさせられた。通電用に加工した電気コードの針金やクリップを握らせた上、互いの身体に通電し合う行為を強要した。
ベニヤ板等で「領土」と称するものを作り、台所での居場所を狭い「領土」の上に制限した。
台所の床に尻を着けて座ることを許さず、そんきょの姿勢を強制した。そして、台所を素足で歩くことを禁じ、下駄状の物を履かせた。
制裁等を理由として久美雄に対し、浴室や台所で長時間にわたり起立し続けることを強制することも多かった。
純子はスノコの檻の中に入れ、久美雄と純子を互いに向き合わせ、あるいは共に正面を向かせた状態で、長時間の起立を強制した。
食事は一日1回、丼に山盛り1杯(多くて3合半くらい、約1200グラム)の白米を与え(殆ど毎回、ラードを何回か円を描くようにたっぷりかけた)時々、うどん(五木のうどん1食分、約200グラム)、又はラーメン(マルタイラーメン1食分。約82グラム)1人前を添えたり、白米に代えてめん類を与えたり、白米やめん類に卵を添えたりした。肉類、魚類、野菜等の副食は全く与えなかった。緒方純子が松永にに内緒で久美雄におかずを作ったことも全くなかった。
久美雄は深夜午前1時ころから3時ころ食事を与えられることが多かった。松永が食事内容を決め、その指示に従って純子が食事を用意して盛りつけるなどして久美雄に与えた。
排泄は1日1回に制限。トイレで大便をさせるときは、全裸にならせた上、浴室からトイレまでの床に新聞紙を敷き詰めて移動させ、13分の制限時間を課し、便座に腰をかけることを禁じて中腰の姿勢をとらせ、ドアを開けたまま用便の様子を監視させるなどした。用便をした後は、純子が尻や、尻を拭いたトイレットペーパーを確認し、浴室に戻し、床に敷いた新聞紙を片付け、便器、トイレや洗面所の床を拭いて掃除した。
便意を我慢できずに大便を漏らすことが何回かあった。何回か紙おむつをはかせた。また大便を漏らしたとき、何度か純子に指示し、トランクスに付いた大便をトイレットペーパーでふき取らせた上、純子にトイレットペーパーごと口に入れて食べさせたり、大便の付いたトランクスに口を付けて吸わせたりした。そのとき、純子は大便の付いたトイレットペーパーをなかなか飲み込めず、純子が水を与えて飲み込ませた。
かさぶたを剥がす癖を直すと称し、純子や少女Aにかさぶたを集めさせ食べさせた。
不動産会社を解雇させられると、96年1月上旬から2月26日ごろワイシャツ1枚で浴室に監禁され、純子により殺害(傷害致死)。死亡直前、少女A(仮称虎谷沙織)に、歯型がつくほどきつく父親の体を噛ませている。松永は「お前がつけた歯型のことがあるから、お父さんを病院へ連れていけなかった。病院へ連れていったらお前が殺したことがすぐにわかって警察に捕まってしまうからな」と言い聞かせ、当時、まだ小学校5年生の少女Aに「事実関係証明書」を書かせた。内容は「私は、殺意をもって実父を殺したことを証明します」というもので、長い間少女はこの書面に縛り付けられることとなる。
 95年12月「えんま大王様がやって来る。」「手首から糸が出ている」「米軍が攻めてきた」「壁に引き出しがある」などと意味不明のことを口にし、純子から通電を受けた後、純子に対し「娘沙織がいつもお世話になっています。自分も沙織もここまでこれたのは宮崎様(松永の偽名)のおかげです」などと言って土下座をするなど、異常な言動を示すようになった。
96年1月常に酔っ払ったような状態になり、言葉が出にくく、はっきり発語できず、ひどいどもりのようになった。死亡直前ころは常に無表情であった。

どうして虎谷久美雄は逃げなかった?

久美雄は、一方的に虐待や暴行を受けていたが、虐待に不満を漏らしたり、口答えしたり、文句を言ったり、実力で抵抗したりしたことは全くなく、マンションメイン芳華を逃げ出そうとしたこともなかった。理由は以下の通り。
①メイン芳華の玄関ドアがドアチェーンと南京錠で施錠されていた上、久美雄は95年12月終わりころからは浴室に閉じ込められていたこと。
②久美雄は暴行や虐待を繰り返し受けたことで、抵抗したり逃走したりする気力、体力を奪われていたこと。
③久美雄は、自らが悪事等を犯したことを認める旨の事実関係証明書を作成させられたり逃走を防止するための顔写真を撮られたりした上「これらを警察に出す」「やくざを呼ん
で追いかけ回す」などと繰り返し脅されるなどして、緒方と純子に弱みを握られ、警察
に追われる身になったとの負い目を負わされていたこと(なお、久美雄は緒方と純子両名が指名手配を受けて逃走中の身であることを教えられていなかった)
④久美雄の娘沙織がメイン芳華で緒方と純子の支配下に置かれていたこと。
⑤娘沙織は松永の指示を受けて久美雄を常に監視し、久美雄に不審な言動があれば、直ちに松永に報告しなければならない状態に置かれていたので、久美雄と沙織が意思を通じ合って一緒に逃げ出すことも極めて困難であったことなどが考えられる。

死亡前後の状況

98年1月下旬ころ、突然、浴室で失神して倒れた。その際は松永が歯ブラシでAの口をこじ開け、人工呼吸をして久美雄を蘇生させた。
死亡当日ころまで、食事を食べ残さず、制限時間内に全部食べ終わった。体調不良や苦痛を訴えたことはなかった。
96年1月下旬ころ、浴室で失神して死亡。
松永は「万一蘇生するかも知れないから通電してみよう」などと言って久美雄の胸部等にクリップを取り付け、何度か通電したが、久美雄は身体を動かさなかった。
その後、松永と純子は沙織を同席させ和室で飲酒しながら話し合いをした。その際、松永はは玲子に対し「病院に連れて行けば助かるかもしれないけど、沙織が噛み付いた痕があるから警察に捕まるので、病院には連れていけない」「あんた(沙織)が掃除しよるときにお父さんの頭を叩いたから、お父さんは死んだんだ」などとを発言。松永は「バラバラにして捨てるしかないな」「まず血抜きをしよう」などと提案し、その結果、久美雄の死体は解体して処分することになった。純子は、松永が久美雄の蘇生措置を講じるのを見て感心し、これを躊躇した自分を恥ずかしく思っていたことから、久美雄の死体解体については進んで「自分でやります」と申し出た(遺体は純子により(少女も手伝った説もある)浴室にて血を抜いて解体。台所で肉片を煮込んだ後、ミキサーで液体にし、ペットボトルに詰め、近くの公園のトイレに流す。骨や歯は砕き、味噌と混ぜ合わせ、海に捨てる。服はシュレッターにかけ、道具とともに川に捨る。96年2月26日死亡、翌日から解体。3月21日の夕方までかかった。全工程の翌日、純子は第二子を産院で出産している。

この時期(96年1月ごろ)松永と純子は虎谷久美雄殺害と並行して結婚詐欺を計画する。(仮称横山明美)は松永、純子に監禁され、消費者金融、親族などすべての手段を使って金をぎりぎりまで搾り取られる。アパートに通電を受け監禁された。だが彼女は命の危険を感じた末、純子がたまたま閉め忘れたアパートの二階から飛び降り、身体に腰骨骨折や肺挫折慢性を負いながらも何とか助かっている。保護されたときに、精神に複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患い、怯えていて事件の経緯を一切話さなかった。松永逮捕後、証言台に立つも松永を目の前にしてストレス障害で倒れ、強い薬を飲むが法廷退去。最後に震える声で「どうか松永を極刑にしてください。望むことは、それだけです」と発言した。その後、精神病院に入院する。現在、生活保護で娘と二人暮らし。摂食障害(拒食と過食)で苦しんでいる。

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