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北九州監禁殺人事件の全貌

事件の概要

監禁された家族が被疑者にマインドコントロールされてしまい、家族同士で殺し合いをおこなうほどの狂気に溢れた残酷な事件。

地裁判決文

求刑 被告人両名につき死刑
平成17年10月5日
福岡地方裁判所小倉支部第2刑事部
裁判長裁判官 若宮利信
裁判官 出口博章
裁判官 佐藤卓
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/22B5AE6CAA67565E492570FB00083CA3.pdf

監禁事件現場

〒802-0064北九州市小倉北区片野1丁目6−5メイン芳華303号室

事件日時

平成8年〜平成10年(1996年~1998年)
松永太36歳、緒方純子35歳

松永太

1961年生まれ。98年逮捕時37歳。
この事件の最重要人物。暗示的な言葉で殺人を強要した。直接、手を下さず殺人を実行した。
公立小学校の時は、大した勉強もしないのに全学年を通して全ての科目が5で、学級委員長を何度も務め、生徒会の役員に就いたこともあった。
福岡県立三潴(みずま)高校(ここで純子と同学年になる)
2年の時に生徒会の風紀委員長に立候補、当選。
三潴高校2年の時、家出少女を拾って自宅へ入れたことで不純異性交遊により退学。
この前後、すでに緒方純子の妹理恵子とは、久留米市の花火大会を通じて出会い、短期間交際、すでに肉体関係にあった。このときは、理恵子が純子の妹とは知らなかった(松永の法廷供述による)
三潴高校中退後、私立筑邦高校(現久留米学園高校)へ編入、そして卒業。
卒業後、父親の営む布団販売業を手伝うかたわら、19歳で結婚。緒方じゅん子※純子ではなく別人。翌年には子供をもうけている。

布団販売の事業

布団販売業の有限会社を1983年に設立し、代表取締役となる。
粗悪品を訪問販売によって高値で売りつける詐欺まがいの会社であった。
1985年、実家の敷地内に鉄骨3階建てのビルを建てた。壁に白っぽいタイルを施したぜいたくな造り。
近所の目には「羽振りの良い若社長」に見えたが、詐欺まがいの布団販売の他には、ヤミ金融が実態だった。
従業員の住まいはビル裏の木造の別棟。そこで3年余り暮らしたという元従業員は「地獄のような生活だった」と振り返る。
従業員は常時5、6人。社長側近の2人の幹部社員のほかは、高額の布団を売りつけられ、松永被告に多額の借金を背負っていた。
ビルの3階には、従業員らが「電気部屋」と呼ぶ一室があった。厚い防音壁に囲まれ、床には埋め込みのコンセントが6つ。松永被告が趣味のオーディオを楽しむための部屋だった。従業員らは月々の販売ノルマが果たせなかったり、松永被告の機嫌が悪かったりすると、そこに呼ばれた。幹部社員に押さえつけられ、金属部分がむき出しになった電気コードを手や足首に巻きつけられた。松永被告自身が手を下すことはめったになかった。
「でんき!」「なぐれ」と、ソファにふんぞり返ったり、床に寝転がったりしながら、口走るだけだった。携帯電話で女性と話しながら命じることもあった。 幹部社員がコンセントにつなぐと、通電の衝撃で両腕がバネのように跳ね上がり、2、3メートルも後ろに吹っ飛んだ。「脳のシンを鉄棒で打たれたような衝撃。一瞬、気を失うが、手足の焼けるような痛みでいつも目覚めた」という。通電が終わっても、体には電気が帯電し、ドアのノブを握った瞬間、ビリッとはじけ飛ぶこともあった。

松永太の性格表の顔

表の顔は人当たりが良く、口が達者である(中学一年生で上級生を抑え校内弁論大会優勝)
雄弁さを発揮して、学生の頃から教師を言い負かせた。
流暢にウソを創作できる才能がある。
行動力があり、自信に満ち溢れ、リーダー的な存在。中学、高校と取りまきを作り、手下に犯罪をさせている。この時から自分の手は汚さない。
初見の人からは信用があるが、教師からの印象は良くなかった。事件後、担任教師は学生時代の松永の印象に対し「目立ちたがり屋でワンマン、リーダー的存在。周囲に有無を言わせず声が大きく、威圧感を与えるタイプ」と答えている。
親しくなると、悩みを聞くふりをして徐々に相手の弱みを聞き出す能力がある。そして相手の弱点を握る。例として純子の妹理恵子の結婚する前の堕胎を聞き出している。理恵子は大親友にさえこの過去を打ち明けていない。
仏像を多数集めている。東洋の宗教(仏教、ヒンズー教)に造詣がある。新興宗教の教祖のような「背後に霊が取り付いている」「浄化しないと無限地獄に落ちる」「数珠で念仏を唱え除霊する」等の言動をする。※多数の仏像を所有していたが、特定の宗教団体に加入していたかは定かではない。
好意を抱く女性のため、従業員を集め、即席のロックバンドを結成。女性のため公民館を借りきり、クリスマスイブにコンサートを行う。練習時、ボーカルの音程のずれをバンドが指摘すると「お前らが俺に合わせろ」と怒鳴る。一曲歌い終わるたびに「今日は最高のクリスマスイブだ」と発言。この時の写真を生涯、所有していた。
ワールド経営の頃、複数の女性と付き合っていたが、女性は松永の印象を「悪いことをするような人ではなかった。紳士的で会話上手で信頼できる誠実な人」と語る。

松永太の性格裏の顔

裏の顔は鬼畜。モンスター。金銭欲が強く、冷酷で残虐。支配欲が強い。支配した人は奴隷以下の待遇にしても心が痛まない。そのための心理学を独学。
学生時代よりスポーツ万能で中学校ではバレー部キャプテン。精力が絶倫。一晩に三度、身体を求めるなどセックスが強く、女性器への入念な舌戯から多くの女性をセックスで溺れさせ、性奴隷にしてコントロールする才能を持つ。セックスのときに覚醒剤など媚薬を使用した形跡はない。性癖は、きわめて強いサド志向で、旦那の見ている前で人妻を犯すことが何よりの快楽。抵抗できない旦那を前に、抱かれている人妻に何度も「松永の性奴隷である」告白をさせ、また松永が妻の媚態を指摘して、夫婦の絆自尊心を崩壊させる。また、家族間で近親相姦をするよう暗示(強要)して家族関係を崩壊させる。
相手が気が小さいとみると大声を張り上げ威嚇する。
肩書きの高い人でも自由にコントロールしていた。
体格が小さく、チンピラなどに脅されると震える小心者。

松永太の事業

1986年25歳で布団販売業ワールド設立。20代の頃から従業員に通電(電気コードを性器や乳首に挟み高圧電流を流す)をしていた。従業員が協力して反撃しないように相互不信監視させるシステムを20代で構築(中学、高校から試行錯誤?)緒方一家監禁の原型を見ることができる。なお、ワールドの定款に記載されている取り扱い品目は三井物産と同じ(貿易業、船舶、石油、航空機、鉄、自動車、海運etc)ことから虚栄心が強い一面をうかがわせる。
会社に不在のときも従業員は「(松永は)中国の江沢民主席が福岡に来ているので、食事に出かけています」などと答えた。
夜の街に繰り出す時は、従業員に手提げ金庫を持たせた。「金は金を生む」とうそぶき、テーブルの上に札束を広げた。1晩の飲み代は平均7、8万円。数十万円を出して、高級クラブを貸し切りにすることもあった。「10年待っとかんですか。10年後は私が柳川を制覇しますよ」と。取引先の社長には、こう豪語した。
1992年には詐欺や恐喝などを重ねた末、経営が破綻して石川県へ夜逃げ。最後の従業員に、母親に金を無心することを強要。しかし約3ヶ月後、その送金も途絶え、虐待に耐えかねた従業員は逃走した。1986年から1992年まで詐欺会社での売り上げ+巻き上げた金は一億八千万円にものぼるという。これらはすでに時効が成立している。
民間の信用調査機関によると、こうした短期間の不渡りの連続は「極めて異例」とのこと。
支払うつもりもないのに計画的に多額の借金をしたり、商品を取り込んだ後、雲隠れするパクリ行為だった疑いもあるという。
寝具販売業などを経て、いずれも柳川市の実家を本店とする絵画贈答品販売会社、インテリア商品販売会社などの代表者となっていた。インテリア商品販売会社では緒方容疑者も役員だった。
1992年9月から、松永容疑者個人の自営業者としての当座預金口座を含む計四口座で不渡りを連発、うち三口座は92年12月末までに銀行取引停止となった。
1994年ごろには、別の詐欺容疑などで柳川署から指名手配されていた。
大牟田市でも92年ごろ、「松永太」と名乗る男が、同市の自動車販売会社で従業員を保証人に数百万円のローンを組んで車両を購入、返済を肩代わりさせ行方をくらませた。

松永太の逮捕時の行動

松永たちは、少女A(虎谷沙織)の養育費として少女Aの祖父(祖母と再婚した義理の祖父)から時々金を請求して受け取っていた。その時に、「変だな」と祖父は感じていた。少女の逃亡のときの様子から「やっぱり変だ、何かある」と、祖父は少女Aから、父親が殺害された事実を聞きだし、通報となった。ちなみに祖父は、義理の息子虎谷久美雄が「(松永と)コンピュータを使って競馬の予想をビジネスにする」など松永を尊敬する態度を見て「お前、騙されとるんじゃ」とたしなめている。
少女宅に張り込んでいた刑事に逮捕されたとき、緒方が能面のように無表情だったのに対し、松永は「違法逮捕だーっ、逮捕状見せろーっ!」と往生際が悪かった。

松永太の逮捕後の行動

弁護士から刑事訴訟法の本を差し入れてもらっている。
逮捕後、公判中も一切の罪悪感、反省がない。公判中も拘置所でも落込むことなく明るく振舞っている。それどころか逮捕されてからは「通電は教師のゲンコツのようなもの」「検事の女性に恋をしました」などと発言する。 2005年3月、福岡地裁において検察は松永、純子の両名に死刑を求刑。同年9月、死刑判決。
公判中も一貫して、己の「全能感」をどこでも押し通せると信じ、滑稽なほどたわいない嘘をつき続けた松永は、ただちに控訴。

松永太の接見した印象

公判中「松永被告は不合理な弁解に終始し、矯正の可能性はない」と、検察官が指摘すると、せわしなくメモを取っていた松永被告は一瞬手を止め、顔を紅潮させた。
公判中、緒方純子の女性弁護人による「松永被告の道具として利用された」という主張には大きく首を振り、弁護人をグッとにらみつけた。
公判前、松永被告は587ページもの1審判決を読み込み、膨大な量の原稿を弁護人に見せ「ここはもっと掘り下げて」などと注文を付けた。
緒方被告側が無罪を主張することに「あいつの本性が見えてきた。こっけいだ」と語った。
拘置所にて接見した女性が語る松永の印象「(松永は)確かに頭が良い(記憶力も良い)人です。道を外さなければ今頃、高給取りの中間管理職にはなっていたでしょう」
「松永を擁護するわけではないけれど、彼に接見する人はさすがにいないらしい。多弁な人が人と話せない辛さは私も分かる」とのこと。
中肉中背で、予想よりも大きな人で驚きました。(予想では165cm以下だと考えていました)
色が白くて肌はアトピー気味(掻き毟る癖があるのか?)予想していたギラギラ感はゼロ。
髪型は昔からある「坊ちゃん刈り」に白髪が混じっていました。
老眼用(近視?)のメガネは一昔前の大きなものでした。
衣類はユ二クロの半袖の部屋着を着ていたようでした。(かなりくたびれていた感じ)
目はパッチリ二重で、人の目を見て話す人なので、男性経験が少ない女が(松永に)引っかかるのも無理はないと思いました。
パッと見、事件から想像するキャラの濃さは感じませんでしたが、色々な顔を持っているのだろうと思いました。
「拘置所は霊とかがよく出るんですけどね、何もやってない僕のところには出ないんですよ」
「この事件に関しては天才詐欺師やらとマスコミが印象をねつ造しているだけで、僕は何もやってないし、マスコミがこうやって面会に来ることもない」
「息子さんたち(前妻との子供、緒方との子供)には会っているのか?」の質問に対しては
「裁判でも言ったけれども、子供には会いたい。でも父親が被告人ということで子供に負担がかかるのは嫌なので会っていない」

結婚詐欺

1993年、純子は第一子を出産。しかし相変わらず収入はなく、松永は結婚詐欺を思いついた。ターゲットにされたのは、松永がまだ羽振りが良かった頃交際していた女性だが、当時すでに結婚して子供(3つ子)もいた。松永は彼女を口説き落とし「離婚して俺のところへ来い、子供のことも俺が引き受ける」と言いくるめて、彼女に家出をさせた。そして北九州市小倉のマンションを、彼女名義で賃貸契約させている。純子のことは姉として紹介した。彼女は貯金のすべてを松永に吸い取られ、前夫からもらう月々の養育費まで奪い取られ、親にも金の無心をさせられるなどして、合計1180万円以上を搾り取られた。なお金蔓としての価値がなくなった94年頃、彼女と子供のうち一人は別府湾で水死体となり発見された。この事件は大分県警により自殺事件として処理され、後に捜査本部が立件を検討した。一連の事件発覚後、この死と松永との関連が浮かび上がったが、残念ながら事件性が立証されぬまま捜査は打ち切られた。

結婚詐欺の手口01

米同時テロが起き、アフガンに世界の目が集まっていた頃の手口。
自称コンピューター技師「ミヤザキ」は、北九州市内のカラオケボックスで女性と会っていた。女性の目を正面から見つめ「長い間、会えなくてごめんね」とささやいた。
ミヤザキからの連絡が途絶え、女性は自分のことが眼中になくなったかと心配していた。ミヤザキは視線をそらさず、切々と語り続けた。
「米国が使用した弾道ミサイルの軌道計算のために、戦場にいた。人が死ぬのをたくさんみた。戦争はよくない。心からそう思った……」ミヤザキが女性の前に現れたのは94年。ペコペコしながら、頭をかき、どこかおどおどした感じだった。スーツも地味。いかにもうだつが上がらないサラリーマン。
自称ミヤザキは「ぼくには仕事しかないんです。女性ともつき合ったことがなくて」と、緊張した様子で話した。
女性はデートに気乗りはしなかった。だが、携帯電話のやり取りを聞き、印象は一変した。英語や専門用語を交え、普段とは違った快活な口調。「意外にしっかり者なのね」。女心がさざ波をたてた。
  女性は監禁事件が発覚した3月、警察に呼ばれ、ミヤザキの「正体」を告げられた。
「あの人は、そんな人じゃない」強く抗議する女性に、署員は皮肉っぽい笑みを浮かべ、聞き返してきた「あんたも、あの男のグルかい?」と。

結婚詐欺の手口02

借金取りから隠れるように住んだ北九州市では、「結婚詐欺」が主な収入源だった。夫の暴力に悩んでいた中年女性の前では「医師のタシロ」として、相談にのった。「働いている病院を辞めるのに、支度金を返さなければならない」と困り果てた表情を見せ、数百万円を融通させた。

結婚詐欺の手口03

「京都大学を卒業して物理学を研究している村上(偽名)です」
初めて会ったときは誠実そうに見えたという。そのうちホテルで逢うようになり、ワインレッドのアタシュケースからビデオをとりだしアインシュタインみたいな人が講義している物理学のビデオを見せられた。もうこの時点で明らかに怪しいのだが仮称横山明美はすっかり信用してしまったようだ。やがて村上(松永)は仕事をやめ「小説を書くからどこか落ち着いた場所に部屋を借りてくれ」とA子さんを承諾させた。部屋を借りるとすぐさま純子を呼び寄せ、姉と偽り同じ部屋に間借りさせた。その後、560万円をだまし取った。そのとたん松永は豹変し髪の毛をつかむ殴るなどすさまじい暴力が始まり、A子さんとその娘は松永に監禁されるようになった。しかし半年後の97年3月、たまたま開いていた2階の窓から飛び降りて側溝を這(は)って逃げ出し、元夫のところに救いを求めた。気がついた松永は警察を察しすぐさまA子さん元夫の自宅付近に「大人になったらぶっ殺す」と娘を置き去りにして逃亡した。A子さんはあまりの恐怖体験のため精神に異常をきたし、警察に被害届をだすことはなかった。

その他

現在、被害届けなど、確認されている結婚詐欺の被害者の女性は25人以上。中でも特筆すべきは殺害された虎谷久美雄の姉も結婚詐欺の被害にあっている。警察に被害届けを出さなかった女性を含めると相当な数になると思われる。また、結婚詐欺の被害者で、不審死、自殺に追い込まれた女性も数名いるらしい。立件できず、捜査打ち切り。

その他の松永の行動

学生の頃から家の会社の社員を虐待、霊能者のフリして勧誘、バンドのボーカルの他に、海族の末裔、村上博幸(村上水軍の末裔)、京都大学卒業のインテリ、プログラマーで湾岸戦争に従軍、河合塾(予備校)の講師、小説家、やくざ、警察関係者、北朝鮮の関係者を名乗っていた。京都大学の理由は東京大学よりノーベル賞の受賞者が多いため。

監禁中の緒方一家、虎谷一家の待遇

支配者松永がの武器は卓越した話術。相手を油断させ、信用させると同時に、恫喝する二面性によりマインドコントロール下におき支配する。
支配するため「食事排泄睡眠セックス」を重視した。通電により脳を空白にして新しい価値観を植えつける。それを持続させるには生理的欲求を管理制限することが重要という結論を得たのであろう。経験からの独学か、オウム真理教などを参考にしたのかは分からない。なお、オウム真理教が使用した薬物などは使用していないようだ。
食事は白米~下痢便まで奴隷階層により違う。一例として、食パンの耳だけ、白米にラードまたは生卵、具のない即席ラーメンだけなど。
粗末な食事が日常化すると、おかずが一品増えただけでも感謝するようになった。
食事は13分で食べ終えないと通電。
最下層の奴隷に落ちると、下痢便を無理やり食べさせることもあった。
排泄は一日一回。大便は便座に腰かけずに腰を浮かせて排泄。小便はペットボトルに排泄。主也が廊下の排水溝にペットボトルの小便を流し、悪臭を放つので近隣j住民から苦情が来ていた。
過酷な監禁生活が日常化すると、支配者松永から優しい言葉をかけられると、奴隷たちは慰めになった。
浴室内で死体を解体する際、鍋に煮込んだ際の悪臭(強烈なレバー臭と、排泄臭)で、近隣住民は不審に思ったが「関わらない」ことを選択した。
布団を与えず立ったままで寝かせる。
家族間での会話は禁止。
シャワー、歯磨きは何日も禁止。
女性は松永と寝ると奴隷階層の地位が上がる(シャワー、歯磨き、ベットでの睡眠ができる)ため、自ら積極的に松永の性奴隷となった。
緒方純子は「松永とのセックスは耐えがたがったが、これも仕事だからと思い、受け入れた」と供述している。
近親相姦をさせ、行為中の写真を撮り、自尊心を剥奪する。特に主也は義理の母静美、実の娘彩10歳とのセックスを強要された。
虎谷久美雄殺害の浴室の配管工事をさせた。そして証拠隠滅に加わったとしてさらに取り込んだ。
財産や両名の結婚、金銭授受などに関して多数の念書を作成。法的拘束力より、反抗できない支配のための書類と思われる。これらは公序良俗に反する違法契約であるが、監禁による疲労、通電による精神の破壊などで冷静な判断力が低下していた。

家族を分断するためす吹聴した話

いずれも些細な話であるが、雄弁な松永が何度も繰り返し吹聴することで、家族は相互不信になリ、団結することができなくなった。
誉が孫彩ちゃんのおねだりしたものを買ってやらなかったことに対して「おじいちゃんなんか死んじゃえ」といった話。
静美と松永が肉体関係である話。
理恵子が主也との交際前に堕胎していた話。
誉が義理の息子主也にいつまでも土地権利を譲らない話。
主也に「あなたは緒方家の種馬。騙されているんですよ」と煽る。
理恵子と松永が肉体関係である話。
理恵子から「主也が明け方にセックスをもとめてきて困る」などの話を聞き「無理やり迫るとは何事だ!女性を侮辱している!」と主也に難癖をつけるなど。

監禁中の緒方一家、虎谷一家への虐待方法

主な虐待は通電。コンセントからコードをワニクリップでつなぎ、性器乳首に電流を流す。通電されると、痙攣(けいれん)状態となり、ぐったりして意志がなくなる。頭の中が真っ白になり、自分を失い、支配者の言いなりになる。限度を超えると廃人寸前、糞尿の垂れ流し状態になることも多々あった。
常につま先立ちで深く腰を降ろす、土俵入りの力士の姿勢”そんきょ”を長時間にわたり命じられる。

緒方純子

1962年生まれ。元幼稚園教諭。短大を出て、1982年ごろから自宅近くの幼稚園に教諭として勤務。約3年で退職。
優等生だが、自己評価が低く、松永以前は異性との交際関係が一度だけだった。
厳格な父親(門限19時)に育てられた。世間知らず。学生時代、リーダー的な妹に比べ、優しく他人を思いやる一面があったと、妹の友人が当時の印象を振り返る。
授業中、目を離したすきに園児がけがをした。関係者によると、父親と名乗る暴力団関係者がどなり込んできたという。勤務して、わずか2か月後の出来事。このトラブルの相談相手になったのが松永。以来、2人の親密な交際が始まった。
松永との交際は緒方家で反対される。が、松永が提出した婚約確認書(妻子とは別れます。緒方家の婿養子になります)に父親の誉はだまされ、松永を気に入る。母静美はこの婚約確認書を信用していなかった。
松永は純子に、業績は順調で、松永自身も芸能界からスカウトされていると、松永が自分にはもったいない存在と抱かせる。一方で(婿養子になるため)事業をやめ、芸能界進出の夢もあきらめなければならないなど、彼女に自責の念を抱かせた。
松永は、自分には不釣合いな大きな存在として畏敬の念を抱き、尊敬するようになる。
松永より、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れられた。
松永と出会う前は、男性経験は一度だけ。男性が一方的に腰を振るだけで感じなかった。
松永によりセックスに目覚める。以後、積極的に松永を求め、マインドコントロールとともに、松永のセックスから逃れられない身体になる。
悪質布団販売の事務員になり、この頃から従業員に通電など虐待に加担していた。
松永による暗示的な指示(強要)の元、通電の暴行、多くの殺害を実行したが「これは現実ではない」「やらなければ、自分がやられる」と心を閉ざすことで犯行を正当化していた。
世間体を気にして松永を排除する家族に反発するようになる。
父親に電話で投資話を持ちかけていた。
昭和60年2月13日、自宅で睡眠薬数錠を服用した上、左手首を切って自殺を図った。しかし病院に搬送され一命をとりとめる。
自殺未遂の後、さらに松永に取り込まれ、心酔するようになる。
結婚詐欺には純子も、松永の姉として犯行に及んだ。

湯布院事件

1997年4月、純子は1歳になった次男を久留米市の伯母へ預け、湯布院でホステスとして働き始めた。長男はマンションに置いたままで、世話は少女A(仮称虎谷沙織)にみさせていた 殺人の共犯者でもあり奴隷でもあった純子に逃げられた松永は、取り戻すべく一計を案じて純子の母静美に連絡をとった。このとき、松永と静美の肉体関係はまだ続いており、彼は以前より「純子のせいで殺人や詐欺の片棒をかつがされた」と静美に吹き込んでいた。そのため、緒方家の世間体を案じた誉、静美、妹理恵子が話し合いのため松永のマンションへ出向くことになった。カリスマ性のある松永の話術の罠にかかり、純子を殺人の正犯だと思い込み、従うようになる。 明け方まで寝かせず同じことを何度も何度も執拗に繰り返し、相手の一番弱い所(名家の緒方家にとって、これは世間体だった)を突く、自尊心をくすぐって持ち上げては落とすことを繰り返す。松永は「緒方家から殺人犯を出してもいいのですか、マスコミの餌食にされますよ」「家の名誉を何だと思っているのですか」と緒方一族を追い込む。

湯布院事件松永の葬式

松永が純子を取り戻す計画を緒方家に打ち明ける。計画は「私が死んだということにして葬式を出しましょう。そうすれば純子は帰ってくるだろうから芝居に協力して下さい」
と緒方一族に言いくるめた。罠にはまり帰ってきた純子は、押入れに隠れていた松永に取り押さえられて殴られ、彼女は家族の前で通電を受けた。純子にとってはこの時、騙されたことよりも、家族が松永の味方をしたばかりか、彼の支配下、奴隷化の状況に置かれてしまったことの方がショックだったという。 なお、松永が公立高校退学後、私立筑邦高校に編入した前後に短期間、交際していた(松永の証言による)妹理恵子は、この葬式事件の頃に松永に犯され、その後、主也には秘密の肉体関係が続くことになる。

松永の遺書の内容

偽装工作として遺書を作成した。内容はあまり公開されていない。
「まさか俺が死ぬとは思わなかっただろう、でも本当だ」~中略~「俺は死んだらお前の中に入っていくことができる、そしてずっとお前と子供を守っていく」

緒方が湯布院で働いたスナック女将にあてた手紙

公判にて「今はこうなってしまって人は笑うかもしれませんが、でも、私も主人も、やっぱり愛しているのだと思います」~中略~「おなかが張って苦しい時があったのですが、そのとき彼が私の中に入ってきたのだと思いました」~中略~「創価学会の集会に出て具合が悪くなり、当時、そう思ったと」
上記内容に、検察官は「やっぱり愛しているのだと思います」というのは本当にそう思った?この質問に対し、緒方は「当時の女将に本当のこと言えないから、もちろん本当の事書けないけど、、、擬似的なものだったのかもしれません」と語った。
供述から、緒方が湯布院で創価学会の集会に出席したことが伺えるが、誘われてたまたま出席したのか、正会員かは特定できない。

湯布院事件事後処理

松永は純子に命じて、湯布院で世話になっていた人々に電話をかけさせ、罵倒させて絆を断たせた。味方と逃げ場を失くすため。
もう逆らう気力もなく純子はこれに従い、見ず知らずの自分に親切にしてくれたスナック経営者や紹介者に「あんな安い給料でこき使いやがって、バカにしてるのか」「親切ヅラして私をスナックへ売り飛ばしただろう」と松永に命じられるがままに悪態をついた。

湯布院事件の後

松永はその後、純子がマンションで虎谷久美雄を殺害、死体をバラバラにしたことを緒方家の3人に告げ、「家の名誉のため、証拠を隠滅しなくては」と言って配管工事をさせている。これによって彼らに共犯者の負い目を感じさせることが目的だった。その上で彼は緒方家の人々に「純子は詐欺、殺人などで指名手配となっています。なんとか私が彼女の面倒をみながら逃げ切ってみせますから、さしあたり5年分の逃走資金を調達して下さい」と言った。この5年分の逃走資金として呈示した額は、3000万円である。緒方家の人々はそんな金はないと言ったが、松永は土地を担保に借りろと強要。しかし土地の名義は、祖父のものになっていた。
純子は湯布院に逃げるまでは少女A(仮称虎谷沙織)より奴隷階級のでは上であったが、松永の葬式、帰宅の後は少女Aより奴隷階級が下に落ちる。その後、行動を少女Aに監視させられる。少女Aは、父親を虐待、殺害した純子に憎悪を燃やしている。現在も純子の死刑を望んでいる。

JR小倉駅事件JR門司駅事件

97年5月ころ、松永の指示で、少女A(仮称虎谷沙織)と共に、郵便物を投函するなどのため山口県下関市内に行く。帰途、いっそ逃げ出して自殺しようなどと考える、とっさに「JR門司駅」で発車直前の電車から飛び降り、タクシーに乗車して逃走しようとした。
しかし、沙織が純子を追いかけ、乗り込んだタクシーのドアを叩いて騒いだので周囲に人が集まり「警察を呼ぼうか」などと言われ逃走を断念。
JR小倉駅事件から松永が、マンションに連れ帰ると通電等の激しい制裁を加えた。松永が「なぜ逃げたんだ」と聞くので、松永が「電気が怖かったんです」と答えたところ、松永は「電気が怖いなんて、電気はお前の友達だろう。」「お前だって、虎谷に電気通したじゃないか。虎谷には良くて、お前はいけないのか。」などと言って責めた。松永は「電気は私の友達ですと言って笑え」と命じられ、そのとおりにした。松永はそれを見て嬉しそうに笑った。激しい通電は、門司駅事件の約1か月後まで続き、その後は、なくなることはなかったが、回数が減った。松永は、少女Aに、「(被告人Bの)太股を蹴っておいて良かっただろう。」「スリッパ
履きにして良かっただろう。」などと言い「今後も逃げられないようにきちんと見張ってお
けよ」と指示した。

殿様松永の正妻争い

殿様である松永は、緒方家の女性と少女Aから、正妻を日々替えた。正妻は純子のほかに、母静美、妹理恵子、少女Aの虎谷沙織(仮称)の四名で争われる。純子は、正妻争いに三人(特に沙織)に激しい憎悪の念を燃やすも、日々変わる正妻の命令には逆らえなかった。

拘置所にて接見した女性が語る緒方純子の印象

※原文のまま
「瞳のきれいな女性。謙虚で自分のことよりも人のことを思いやれることができる素敵な人」
「彼女が松永と出会って人生めちゃくちゃにされたことに同情する。死刑判決だけは出て欲しくない。(出ないだろうけどね)」
「彼女が家族を殺してしまって、数々の人の人生を狂わせてしまったことは深い罪だと思うけれど、彼女の根本的な人格まで否定するのは止めて欲しい」
彼女は「私の遺骨は残して欲しくない」と言っています。とても寂しいことです。
息子さん達が彼女の支えとなって今後の人生を静かに過ごして欲しいと思っています。

高裁、第一回公判、精神鑑定の申請

一転して無罪を主張、「松永太被告(45)からの通電暴行で行動を制御できない状態だった」として精神鑑定を申請した。
緒方被告の弁護側は「虐待によって責任能力は喪失、または減弱していた」と訴えており、心理面から松永被告による「支配の構図」を明らかにする狙いだ。「支配により人格変化や解離症状が見られる」とする精神科医の意見書も1審に続いて提出し、証拠採用された。
一方、松永被告は「緒方被告は別の殺人事件を起こしていた」と新たな主張を展開した。
一連の事件の発覚から4年10か月。遺族らは「責任の押し付け合いだ」とやりきれなさを募らせた。
両被告は1審判決を不服として控訴。緒方被告は控訴審で「様々な暴行や強制、電気ショックなどが繰り返され、誰よりも悲惨で長期にわたる虐待を受けた。責任能力はなく、松永被告に間接正犯が成立する」と主張。
「松永被告の意思や行動を絶対視する人格変化と、感情や現実感を喪失する解離症状が表れた」とする精神科医による鑑定意見書を提出した。ただ、精神鑑定申請は却下された。

緒方誉(たかしげ)

平成9年(97年)12月21日死亡(虎谷久美雄殺害から1年10ヵ月後)純子に頭部への通電で殺害(傷害致死)される。享年61歳。農協関連団体(安武土地改良区)の副理事。次期理事長の最有力候補であった。
2ヘクタールの田畑と大型のコンバインを持つ裕福な農家。
タイヤ部材メーカーにも勤め、収入は多かった。
厳格な性格。集落の2/3を占める緒方家の本家。名門(誉の父は村会議員)緒方家の名誉を大切にしている。松永の「緒方家から殺人犯を出したくない」「時効までの辛抱」に言いくるまれて一家全滅の地獄を見る。
監禁されて通電もされながらも、97年8月、緒方家は「緒方誉」名義で、農協から3000万を借り入れた。
3000万の担保は祖父名義の土地。その際、主也はこの借入書の保証人になっているが、その前に松永に「主也さん、これ以上、緒方家の奴隷になっていることはない」と唆され、住民票の住所を変えていた。それを忘れてもとの住所のまま書類を作成してしまったことを松永は「文書偽造だ」と責め、それを何度も何度も明け方まで眠らせずに繰り返す得意の手口で、主也を追い詰めていく。
 「純子が柳川の男にだまされている」。親類中で松永への非難が高まっていく中で、誉はいつのまにか、松永の会社の布団販売を手伝うようになっていたという。
親しかった地元の市議は、農協から借りた三千万円と引き出した預金一千万円を、松永被告に渡したことを緒方家の親類から耳打ちされた。「あんたらしくない。変な商売はやめろ!」と、市議は誉さん宅に駆けつけ、語気を強めた。が、誉さんからは信じがたい言葉が返ってきた。 「あの男は、いずれは自分たちを幸せにしてくれる……」と。あとは何を言っても話をそらすだけ。松永被告に一家の運命を託したかのようだった。
松永は言いがかりをつけて緒方家の大人たちを並べて正座させ、その場で純子に命じて父誉を通電によって殺させた。死体は残された緒方家の面々が処理せざるを得ない。虎谷の死体と同様の手段で、解体し海に捨てたという。

緒方静美

1940年生まれ。誉殺害から2ヵ月後、平成10年(98年)1月20日、主也が首を電気コードで絞め付け、理恵子が両手で足を押さえ、窒息死。享年58歳。
静美44歳(1984年 昭和59年)から松永20代とは15年以上も肉体関係が続く。最初は純子と別れさせるために単身、交渉に臨んだが言いくるめられ、松永23歳と郊外のラブホテルで関係を持つようになる。当初は強姦だったと思われる(※純子の供述)が、その後、松永とのセックスに溺れ、積極的に松永を求めるようになる。
情事を録画され「旦那にバラす」など脅迫された。しかし、近所では松永と仲良く手を組み歩く姿が目撃され噂になるなど、松永に好意を抱いていた。誉はこの関係に気づきはじめ警戒していた。
松永は、静美が「わたしが(純子の)代わりに交際するから(純子とは)別れて欲しい」と語ったと供述している。
祖母、静美さんは立て続けに事故を起こした。側溝、田んぼと車を突っ込ませた。首を痛め、病院へ。そこで偶然、高校時代の同級生だった女性と会った。「死にそこなったわね」。女性(63)は冗談のつもりで言ったが、静美さんに笑顔はなかった。
監禁後は通電、マインドコントロールで、心が砕け、夫誉、娘純子の前でも支配者松永とのセックスに溺れる。夫の前で媚態を晒すなど恥じることなく積極的に性奴隷となる。正妻のときは側室純子に対し高圧的な態度をとる。
静美、理恵子と松永の関係は純子も法廷供述で認めている。ただし、純子は「(最初は)母は強姦されたのではないか」と供述している。
主也夫妻が監禁されると娘純子、理恵子、少女A(仮称虎谷沙織)と松永の正妻の座を奪いあう。
義理の息子主也とセックスを強要され娘理恵子との絆を破壊される。
通電と心理的負担によって精神に異常をきたした静美が殺害される。しつこく何度も殺害をほのめかされ、追い込まれた被害者たちの中から主也が暗に指名されて絞殺。遺体は理恵子が虎谷誉の死体と同様の手段で解体。遺体の解体は98年2月上旬までに終了した。純子は「静美が便秘していたため腸内に多量の便が詰まっていたことと、皮下脂肪が多くて切りにくかったと理恵子がこぼしていたということが印象に残っている」と供述している。

緒方理恵子主也が同居するようになった理由

97年4月の湯布院事件後から、同5月の門司駅事件後からは、緒方理恵子主也一家は毎日、仕事を終えてから、福岡県久留米市内の自宅を車で出て、午後9時か10時ころ北九州市内のマンションに到着し、翌朝未明まで過ごしてから再び車を運転して帰宅するという過酷な生活を続けるようになった。緒方理恵子主也一家にとって、その身体的精神的負
担は非常に大きく、理恵子と主也は睡眠不足のため交通事故を起こしたほどである。当然、勤務先での仕事、家業の農業等にも重大な支障を来したと考えられる。
緒方理恵子主也一家はこのような厳しい生活を続けた末に、優貴と彩は97年7月下旬ころから、理恵子主也は97年9月ころから、誉と静美は97年12月ころから、それまでの生活の本拠である福岡県久留米市内の自宅に居住せず、マンションで松永純子両名と同居するようになった。
緒方理恵子主也一家は逃亡や反抗を計画したことは一度もなく、知人らに対し自分たちの身の上に起きた事情を全く話さなかった。
失跡後の理恵子さんは一度だけ、親類に電話を入れたことがある。「異常な気配」が漂う電話だった。 「お姉ちゃん(純子)のことを悪くいわないで」。理恵子さんは早口でまくしたてた。「そんなことより、今どこにいるの?」。そう問いかけても、答えはなかった。「お姉ちゃん……、お姉ちゃん……」と繰り返し、その先の言葉が続かない。そのうち嗚咽(おえつ)が漏れてきた。この時、親類は背後で男のせっつくような声を聞いた。「理恵子は何かを言わされようとしている」。命令口調の男。主也さんの「やさしい声」とは明らかに違った。
緒方理恵子主也一家に対し松永は「右翼団体と繋がりがある」「盗聴器を使用している」など恫喝し恐怖心を煽った。

緒方理恵子

98年2月10日(静美殺害から20日後)殺害。享年33歳。
純子の妹。姉純子より気が強く、美人。学生時代は同学年の女生徒のリーダー的存在。千葉県警主也との交際前に中絶経験あり。結婚後も勤務先(八女市の歯科医師会館)で不倫をしている。
理恵子が高校時代、花火大会で知り合い、松永と短期間だが交際し、すでに肉体関係だった。純子の妹とは知らなかった(松永の証言による)
純子を取り戻すとき、緒方一家の葬式の時に松永と再び肉体関係になる。
97年4月ごろから、理恵子は「遅くなると(主也に)ばれるけん、2時間勝負よ」といい、松永とラブホテルで情事を重ねた。誉が死亡した後も関係は続いた※松永による法廷供述。
97年8月中旬、松永に肉体関係を暴露される。嫉妬心に煽られた主也に小倉のビジネスホテルに閉じ込められ、過去、堕胎したことを聞きだされ、首を絞められ「殺してやる」などと暴行を受けた。
上記の件で、主也は、松永に「警察に通報したら殺人未遂になるのでは」などと脅される。また「ビジネスホテルで妻を殺害未遂した事実を認める」上申書を書かされている。
静美、理恵子と松永の肉体関係は純子も法廷供述で認めている。
純子が殺人を犯したことを聞かされ、主也が交渉に乗り込む時には、すでに松永との愛欲に溺れる身体になっていた。
「主也が明け方にセックスをもとめてきて困る」「主也との交際前に中絶した」など理恵子の大親友さえ知らない秘密を松永に打ち明けていた。
夫主也が交渉に乗り込んだ際、逆に主也は松永に言いくるめられ、酒の勢いもあり、主也が理恵子を含む緒方一族の頭部を殴る。さらにその後、夫主也は妹純子、母静江と共に妻理恵子の女性器に通電してしまう。
酒に酔い、松永と意気投合した夫主也に殴られ、通電に心が砕かれ、理性的で気丈な性格が一転して松永に屈服し、さらに服従するようになる。
シャワー、歯磨きを許可され、優しく接してきた松永が寝室へ招く。主也のいる初夜の当初は夫への罪悪感、羞恥心から泣き震えていたが、やがて、女性器への舌戯の快楽に溺れるようになる。妻の初夜の情事を目撃した主也はやめるよう反撃を試みるが、逆に純子に通電され主也は自尊心を砕かれる。快楽に溺れている中、そんきょの姿勢で見ている主也の前で自ら積極的に松永を求め、媚態をさらし、媚声を発するようになる。
(主也のいる)初夜の後も、そんきょして屈服している夫主也の前で、自ら松永を求める告白を何度もさせられる。このように母静美と同じ心理的変化を経て松永の性奴隷に変貌し、夫婦関係を破壊される。
主也と離婚する事実確認書に連名で署名させられている。また、カセットテープに離婚の告白を録音させている。その際、両親も離婚に異議がないことも録音している。
妹純子、母静美、少女A(仮称虎谷礼子)はライバルとなり、互いに正妻の座を得ようとする。正妻はセックスの前にシャワー、歯磨きを許可され、事後も殿様である松永とベットで睡眠。側室に落ちると寝る場所がソファ、板の間、浴室、立ったまま寝ると、ランクが分かれる。食事も差がつけられる。
松永の指示で純子が母静美、理恵子を全裸で仰向けに並べて寝かせ、同時に女性器へ通電されていた。
理恵子の女性器への通電の指示は「(松永の子供を妊娠していたため)流産させるためではないか」と純子が供述している。
主也による乳首、女性器への通電や、ビジネスホテルで首を絞められた暴行から、逆に主也に通電や投打による暴行など虐待をするようになる。精神異常になった母静美を主也とともに殺害すると、ますます支配者松永への依存度を高める。だが、結果的には誉静美の次に、夫と娘に殺害されることになる。

理恵子殺害前後の状況

通電、食事制限により理恵子は耳が遠くなっていた。あるとき松永の指示内容をめぐり理恵子と娘彩(10才)と口論になった。これをきっかけに「理恵子も頭がおかしくなっとるとね。どうすればいいかお前ら(純子、主也、彩)で考えろ!」といい「俺が起きるまでに終わらせとけ」と純子、主也、彩を浴室に押し込めた。(浴室が理恵子の監禁場)あたり前だがこのとき純子も主也もできれば自らの手を汚したくはなかった。ここで純子は次のようなことを考えた。「理恵子を殺しますか?」と松永に聞きに行くことだ。しかし「理恵子を殺しますか?」という問いに松永は「そうしろ」とは言わない。なぜなら、松永は殺害に関する決定や指示を直接はしないからだ。しかしこの試みは実現しなかった。浴室のドアノブが壊れて運悪くドアが開かなかったため、松永に聞きに行くことができなかった。松永は3~4時間で起きてくる。それまでに終わらせなければ通電を受けることになる。かくして純子と主也にとって残された方法はひとつしかなかった。殺すということ。
娘彩(当時10歳)に両手で足を押さえさせ、主也により電気コードで首を絞められ殺害される。夫婦の最後の会話は「ともちゃん、わたし死ぬと?」「理恵子、すまんな」とのこと。殺害後「とうとう、自分の妻まで殺してしまった!」と号泣した。なお、理恵子は殺害される前に松永の子を妊娠していた。

緒方主也

98年4月8日死亡(理恵子から2ヵ月後)享年38歳。元千葉県警の警察官、理恵子の婿養子となる(旧姓北島)
高校卒業後、警察官を目指して勉強する傍ら、ガソリンスタンドでアルバイトをした。その時の給料で母親に腕時計をプレゼントした。母親は、今も大切に使い「本当に母親思いの息子でした」と語る。
警察退職後は農協職員(福岡県久留米市の三潴町筑後川土地改良区事務所)
松永のことは、当初、久留米大学法学部法律学科中退と聞かされていた。
元警察官であり実務としての法律犯罪に詳しい。疑問として「なぜ気力、胆力、体力もある元警察官が、体格が小さく、小心者の松永に屈服したのか?」がある。
主也が農協職員になれたのは義理の父誉が農協関連団体の副理事の力が大きい。農協から30年の住宅ローンを借りていて、家族から殺人者を出すと農協を退職させられ人生設計が狂うという負い目もあった。
1997年6月、妻理恵子が毎晩外出していることに気を揉んだ主也(緒方家の婿養子)は、彼女を問い詰めた。理恵子は渋々、姉の純子が犯罪者であることを打ち明けた。
元千葉県警である主也はそれを聞き「松永が義姉をたぶらかしたに違いない」として松永に面会した。
松永は一目で主也の性格を見抜いた。警察公務員と農協しか社会経験のない純朴さ、婿養子であることの心の引け目、隠された男のプライド。松永は彼に酒を飲ませ「あなたが跡取りなのに未だに土地の名義は先々代さんらしいじゃないですか。バカにされてるんですよ」「緒方家の中じゃあなた、単なる種馬扱いだと言うじゃありませんか、人をなめるのもいい加減にしろという感じですねえ」「(静美さんの)キャベツ栽培の収穫を(農協勤務)帰宅後、手伝わせるなんて男としての誇りはないんですか?」「理恵子さんは意外に男癖が悪いそうで。静美さんといい緒方家の女性は発展家の血筋のようですな」とさんざん吹き込んだ。静美の相手とはもちろん松永本人のことなのだが、これは実際地元でも相当噂になっていたらしい。そしてこの時、すでに妻理恵子もまた松永と肉体関係であった。赤子の手をひねるように松永に乗せられてしまった。松永の「あなたがお人よしなのをいいことに、こんなにコケにされ続けて腹がおさまらないでしょう。あんな人たちは殴ってやったってバチは当たりませんよ」の言葉のままに、誉、理恵子の頭を殴ったという。もちろん酔いが醒めてしまえばただちに後悔し、自己嫌悪することになるのだが。こうして、やすやすと松永のかけた罠に捕らえられた主也は、その後、二人の子供までも松永に預けてしまうことになる。そしてこの直後あたりから、松永の緒方家への通電も始まった。
また逆に理恵子から「主也が明け方にセックスをもとめてきて困る」などの話を聞き「無理やり迫るとは何事だ!女性を侮辱している!」と難癖をつけ、今度は主也を攻め立てている。元警察官であった主也でさえ奴隷化されていった理由はこうした心理的ダメージによるものだった。
姿を消したとみられる日の数日前、幼なじみの親友を訪ねた。不在とわかると、寂しそうに背中を向けた。親友は妻から「主也さんは何か言いたそうだった」と聞かされた。
この少し前には、親類の結婚式に出席し、泣いた。テーブルに突っ伏したまま、いつまでも泣き続けた。
睡眠不足と心労により、主也は97年9月以降、農協へ出勤できなくなった。そして主也への通電も、ほぼ同時期に始まっている。
緒方一族は自由に外出することも禁じられ、完全に松永へ精神的に隷属した。松永の促すままに農協から金を借りては渡し、まだ残っている水田を売却すべく手続きに奔走した。その一方、松永は「書面作成」の腕前を発揮し、彼らに「我々が失踪したのは土地の売却を親族に邪魔されたせいである」「私(主也)は妻の首を絞めて殺害をもくろんだ事実を認める(※松永自らが理恵子との肉体関係を暴露し、彼の嫉妬心を煽った果ての行為である)」など何通もの書類を作らせては署名させた。精神的に支配されきっていた緒方家の人々は、これに法的拘束力があるとたやすく信じた。
しかし祖父や親族が簡単に土地の売却が親族に強硬につっぱねられ、警察が動き始めたことも知らされた松永は、緒方家はもう金にならないと判断した。なおそれまでに彼が緒方家から搾り取った金は、6300万円にのぼるという。
理恵子とともに義理の母静美を殺害。娘彩とともに妻理恵子殺害の後も、松永の家来として運転手として市街へ出ていた。

主也殺害の状況

主也は度重なる食事制限や通電のため足が動かなくなっていた。駐車場まで行くときもまともに歩けず道路に何度もしゃがみこんだ。死の数日まえ主也は、松永の愛人宅に向かうよう車の運転を指示された。ファミリーレストランで時間をつぶすよういわれ、なるべく量の多いものを頼むよう指示された。その間主也と純子はどんぶりとうどんのセットを注文した。時間がたっても松永が戻ってこないため、また携帯で指示を仰ぐと追加でなにか注文しろといわれ、さらにメンチカツを注文した。そのときはたらふくたいらげ元気だったのだが、翌日、滝のように嘔吐しだした。松永は油っこいものばかり食べるからそうなるんだと怒り通電を加えようとしたが、衰弱がひどかったので胃薬をのませて娘彩に様子を見させた。そのうち顔も上げられぬほど弱り胃薬も飲めなくなった。それから松永が値段の高い栄養ドリンクをもって様子をみに浴槽にいった。数分して出てきたとき「(高価な)栄養ドリンクとビールなら飲めたぞ」と300mlのビール缶をカラカラ振ってでてきた。本当に自力で飲んだのか、松永に無理やり飲まされたのかは誰も見ていなかったが、約1時間後主也氏は絶命した。松永は主也が死ぬ間際に「元警察官たるものが!」と怒鳴ったという。

98年4月8日死亡から4月下旬にかけて緒方と彩ちゃんの手により主也氏の遺体は解体された。「腹腔内にはコールタールのような、少し粘着性のある、一見すると黒っぽく見えるほどに濃い緑色の液体が広がっており、何かが腐敗したような、これまで経験したことがない重たい感じのする臭いがした」(論告書)
後の鑑定では、主也氏の死因は『高度の飢餓状態に基づく』、『緑膿菌等の腐敗菌による腹膜炎』と断定された。

理恵子主也が子供を松永に会わせた状況

理恵子主也は、当初、安全のため子供を松永に引き合わせなかった。
松永の執拗な「子供を連れてきなさい」という誘いを断り切れず、ついには「花火大会もあるから、お子さんも連れてきなさいよ」という松永の甘言を断り切れずに陥落した。
連れていったが最後、二人の子供は、そのまま人質とされ、更には虐待され殺害されるに到るという悲惨な結末に結び付いていく。

緒方優貴

98年5月17日死亡(主也から40日後)
死亡時5歳。3歳の頃からきちんと挨拶のできるかわいい児童だった。
保育園の同じクラスにいた足が不自由な女の子に、毎日「おはよう」と挨拶をする。女の子の様子を保育士に知らせるなど優しい性格。
姉の彩とは、仲の良い姉弟であった。
おかあさん子。紙芝居の途中でも、理恵子さんの姿が見えると、一目散に駆け出した。理恵子さんは「ゆっくん」と呼んで抱きしめた。
松永は「生かせておくと、源義経のように復讐される」と純子に殺害を示唆した。
97年5月、少女A(仮称虎谷沙織)が両足首あたりを押さえ、純子が両腕を押さえ、彩がロープで首を絞め窒息死。実行犯は純子と彩。
彩は優貴に「お母さんの所に連れて行ってあげるね」と首に電気コードを通した。松永は遺体解体の道具を買いにいかせる際「道具は多めに買って来い」と指示した。

緒方彩

98年6月7日死亡(優貴から20日後)死亡時10歳。
捨て犬の飼い主を暗くなるまで探したりする優しい女の子。
96年6月の夕暮れ時。小学校のグラウンドに、彩ちゃんは、ぽつんとたたずんだ。その前に体育着の子どもたちが並んだ。「緒方彩です。今までありがとうございました」と、ちょこんと頭を下げた。陸上クラブの仲間への、お別れのあいさつだった。彩さんの少し離れたところでは、母の理恵子さんが娘の様子を見つめていた。クラブ退会の申し出は、理恵子さんから突然あった。「なんで? 彩ちゃんはやる気もあるのに」。指導員は引き留めようとしたが、理恵子さんからは歯切れの悪い答えしか返ってこなかったという。
両親を殺害した後「父親の実家に優貴と二人で帰ります。何も言いません。何も言いません」と、懸命にそう誓う彩ちゃんに対し、松永はこう言い聞かせたという。
「彩ちゃんがそう言っても、もし優貴君が何か言って、警察が動いたりしたら、彩ちゃん自身も犯罪を犯しているんだから、そのことで警察に捕まってしまうよ」
少女A(仮称虎谷沙織)と純子により、両手両足をスノコにひもで縛り付け顔面への30分にわたり通電(もっとも思考能力を失わせる)
松永の巧みな話術で「死にたい」と思わせていった。
通電している間、純子は「がんばれ、がんばれ」と励ましたそうである。
松永は、彩は殺人にも解体にも関わってきたので負い目があるから秘密は守れるが
「死んだお母さんのところに帰してあげたほうがいいんじゃない」と殺人を示唆。
自分の母や弟を殺害してしまった10歳の少女に、もはや生きる希望はなかった。
6月7日に感電死または窒息死。
殺害される前には小さくうなずき、死を受け入れ一切抵抗をしないばかりか、首を絞められる際には、絞めやすいように自ら10cmほど首を持ち上げたという。純子は沙織に共犯になるよう、電気コードで首を絞める際は片方を持たせ両方から締上げた。
J-POPのSpeedやGLAYの大ファンだった。
松永の指示により、父主也に強姦されている。松永に犯されたという証言はない。
純子は、当初、少女Aが生かされているから、(松永の指示があるまで)彩も殺されないだろうと思っていた。彩は利発だし、若くてきれいなので利用価値がある。
松永はこうして緒方一家を皆殺しにしてしまった後も、純子に向かって「お前が湯布院へ逃げたせいで、全員を殺す羽目になった」と、この期に及んでさえすべてを彼女のせいにするのを忘れなかった。純子自殺、完全犯罪への布石だと思われる。こうして緒方家の人間は半年の間に(純子を除き)全員いなくなった。

少女Aの父親虎谷久美雄

優しいが優柔不断な性格。不動産会社勤務。松永と同い年。
離婚して10歳の娘とともに暮らしていた。
松永は「新会社(コンピュータを使って競馬の予想)を設立するから共同出資者にならないか」と持ちかけ、連日酒の席へ連れ出して、言葉たくみに些細な軽犯罪「不動産屋で退去した部屋の消毒を行わず、代金を着服した」の過去等を聞き出した。この些細な件を「事実関係証明書」と題され「私は部屋の消毒~の犯罪を犯した事実を証明します」を作成した。
松永のやり口は、内容は言いがかり同然でもとにかく執拗で、何度も何度も繰り返し相手の弱いところを長時間にわたって突いていくというものである。これをやられると虎谷久美雄をはじめ被害者は次第に消耗して、自分の言い分さえ見失ってしまうのだった。計画がうまくいくまでの生活費は、純子に実家へ電話させ、泣き落としで送金させた。この金額も1997年まで63回に分けて、1500万円以上にのぼったという。
その後、久美雄は松永から、多額の借金を負わせられる。
「わたくし久美雄が娘沙織に対し頻繁に性的な嫌がらせをしていた」など身に覚えのない事柄を事細かに記載した書面を作成させた後「沙織に対して性的いたずらをした」旨を自認する事実関係証明書を作成させた。
また松永は純子と共に、久美雄に純子を強姦するよう示唆、強姦未遂事件を仕立て「緒方純子に対して強姦未遂を犯した」旨の事実関係証明書を作成させた。口止め料、慰謝料
等の名目で、さらに多額の金を要求した。
娘玲子と「電気のボクシング」をさせられた。通電用に加工した電気コードの針金やクリップを握らせた上、互いの身体に通電し合う行為を強要した。
ベニヤ板等で「領土」と称するものを作り、台所での居場所を狭い「領土」の上に制限した。
台所の床に尻を着けて座ることを許さず、そんきょの姿勢を強制した。そして、台所を素足で歩くことを禁じ、下駄状の物を履かせた。
制裁等を理由として久美雄に対し、浴室や台所で長時間にわたり起立し続けることを強制することも多かった。
純子はスノコの檻の中に入れ、久美雄と純子を互いに向き合わせ、あるいは共に正面を向かせた状態で、長時間の起立を強制した。
食事は一日1回、丼に山盛り1杯(多くて3合半くらい、約1200グラム)の白米を与え(殆ど毎回、ラードを何回か円を描くようにたっぷりかけた)時々、うどん(五木のうどん1食分、約200グラム)、又はラーメン(マルタイラーメン1食分。約82グラム)1人前を添えたり、白米に代えてめん類を与えたり、白米やめん類に卵を添えたりした。肉類、魚類、野菜等の副食は全く与えなかった。緒方純子が松永にに内緒で久美雄におかずを作ったことも全くなかった。
久美雄は深夜午前1時ころから3時ころ食事を与えられることが多かった。松永が食事内容を決め、その指示に従って純子が食事を用意して盛りつけるなどして久美雄に与えた。
排泄は1日1回に制限。トイレで大便をさせるときは、全裸にならせた上、浴室からトイレまでの床に新聞紙を敷き詰めて移動させ、13分の制限時間を課し、便座に腰をかけることを禁じて中腰の姿勢をとらせ、ドアを開けたまま用便の様子を監視させるなどした。用便をした後は、純子が尻や、尻を拭いたトイレットペーパーを確認し、浴室に戻し、床に敷いた新聞紙を片付け、便器、トイレや洗面所の床を拭いて掃除した。
便意を我慢できずに大便を漏らすことが何回かあった。何回か紙おむつをはかせた。また大便を漏らしたとき、何度か純子に指示し、トランクスに付いた大便をトイレットペーパーでふき取らせた上、純子にトイレットペーパーごと口に入れて食べさせたり、大便の付いたトランクスに口を付けて吸わせたりした。そのとき、純子は大便の付いたトイレットペーパーをなかなか飲み込めず、純子が水を与えて飲み込ませた。
かさぶたを剥がす癖を直すと称し、純子や少女Aにかさぶたを集めさせ食べさせた。
不動産会社を解雇させられると、96年1月上旬から2月26日ごろワイシャツ1枚で浴室に監禁され、純子により殺害(傷害致死)。死亡直前、少女A(仮称虎谷沙織)に、歯型がつくほどきつく父親の体を噛ませている。松永は「お前がつけた歯型のことがあるから、お父さんを病院へ連れていけなかった。病院へ連れていったらお前が殺したことがすぐにわかって警察に捕まってしまうからな」と言い聞かせ、当時、まだ小学校5年生の少女Aに「事実関係証明書」を書かせた。内容は「私は、殺意をもって実父を殺したことを証明します」というもので、長い間少女はこの書面に縛り付けられることとなる。
 95年12月「えんま大王様がやって来る。」「手首から糸が出ている」「米軍が攻めてきた」「壁に引き出しがある」などと意味不明のことを口にし、純子から通電を受けた後、純子に対し「娘沙織がいつもお世話になっています。自分も沙織もここまでこれたのは宮崎様(松永の偽名)のおかげです」などと言って土下座をするなど、異常な言動を示すようになった。
96年1月常に酔っ払ったような状態になり、言葉が出にくく、はっきり発語できず、ひどいどもりのようになった。死亡直前ころは常に無表情であった。

どうして虎谷久美雄は逃げなかった?

久美雄は、一方的に虐待や暴行を受けていたが、虐待に不満を漏らしたり、口答えしたり、文句を言ったり、実力で抵抗したりしたことは全くなく、マンションメイン芳華を逃げ出そうとしたこともなかった。理由は以下の通り。
①メイン芳華の玄関ドアがドアチェーンと南京錠で施錠されていた上、久美雄は95年12月終わりころからは浴室に閉じ込められていたこと。
②久美雄は暴行や虐待を繰り返し受けたことで、抵抗したり逃走したりする気力、体力を奪われていたこと。
③久美雄は、自らが悪事等を犯したことを認める旨の事実関係証明書を作成させられたり逃走を防止するための顔写真を撮られたりした上「これらを警察に出す」「やくざを呼ん
で追いかけ回す」などと繰り返し脅されるなどして、緒方と純子に弱みを握られ、警察
に追われる身になったとの負い目を負わされていたこと(なお、久美雄は緒方と純子両名が指名手配を受けて逃走中の身であることを教えられていなかった)
④久美雄の娘沙織がメイン芳華で緒方と純子の支配下に置かれていたこと。
⑤娘沙織は松永の指示を受けて久美雄を常に監視し、久美雄に不審な言動があれば、直ちに松永に報告しなければならない状態に置かれていたので、久美雄と沙織が意思を通じ合って一緒に逃げ出すことも極めて困難であったことなどが考えられる。

死亡前後の状況

98年1月下旬ころ、突然、浴室で失神して倒れた。その際は松永が歯ブラシでAの口をこじ開け、人工呼吸をして久美雄を蘇生させた。
死亡当日ころまで、食事を食べ残さず、制限時間内に全部食べ終わった。体調不良や苦痛を訴えたことはなかった。
96年1月下旬ころ、浴室で失神して死亡。
松永は「万一蘇生するかも知れないから通電してみよう」などと言って久美雄の胸部等にクリップを取り付け、何度か通電したが、久美雄は身体を動かさなかった。
その後、松永と純子は沙織を同席させ和室で飲酒しながら話し合いをした。その際、松永はは玲子に対し「病院に連れて行けば助かるかもしれないけど、沙織が噛み付いた痕があるから警察に捕まるので、病院には連れていけない」「あんた(沙織)が掃除しよるときにお父さんの頭を叩いたから、お父さんは死んだんだ」などとを発言。松永は「バラバラにして捨てるしかないな」「まず血抜きをしよう」などと提案し、その結果、久美雄の死体は解体して処分することになった。純子は、松永が久美雄の蘇生措置を講じるのを見て感心し、これを躊躇した自分を恥ずかしく思っていたことから、久美雄の死体解体については進んで「自分でやります」と申し出た(遺体は純子により(少女も手伝った説もある)浴室にて血を抜いて解体。台所で肉片を煮込んだ後、ミキサーで液体にし、ペットボトルに詰め、近くの公園のトイレに流す。骨や歯は砕き、味噌と混ぜ合わせ、海に捨てる。服はシュレッターにかけ、道具とともに川に捨る。96年2月26日死亡、翌日から解体。3月21日の夕方までかかった。全工程の翌日、純子は第二子を産院で出産している。

この時期(96年1月ごろ)松永と純子は虎谷久美雄殺害と並行して結婚詐欺を計画する。(仮称横山明美)は松永、純子に監禁され、消費者金融、親族などすべての手段を使って金をぎりぎりまで搾り取られる。アパートに通電を受け監禁された。だが彼女は命の危険を感じた末、純子がたまたま閉め忘れたアパートの二階から飛び降り、身体に腰骨骨折や肺挫折慢性を負いながらも何とか助かっている。保護されたときに、精神に複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患い、怯えていて事件の経緯を一切話さなかった。松永逮捕後、証言台に立つも松永を目の前にしてストレス障害で倒れ、強い薬を飲むが法廷退去。最後に震える声で「どうか松永を極刑にしてください。望むことは、それだけです」と発言した。その後、精神病院に入院する。現在、生活保護で娘と二人暮らし。摂食障害(拒食と過食)で苦しんでいる。

少女A(仮称虎谷沙織)

1981年生まれ。98年当時17歳。2010年現在29歳。
松永は「父親の悪いところを10個書いて報告しろ。そうしないと電気を通す」などと言って欠点や悪事を見付けて報告するように強制した。そのためのノート(「ちくりノート」)を常に携帯させた。
「お父さんは金を集めるのが仕事、お前はお父さんが悪いことをしていないかチェックするのが仕事」と教えこんだ。人間は些細な事でも役割を与えられるとそれを遂行しようと考える。仕事を達成したとき適度なご褒美(アメ)を与え、サボると叱責(通電)を加えた。そうすることにより親子関係は寸断しお互いが松永を中心とする社会を形成していった。
父親の遺体に噛み付き歯形を残す。※虎谷久美雄の欄、参照。
その一方、小学生の頃から松永に犯され性奴隷に。そのため、緒方純子の虎谷沙織に対する憎悪はすさまじく、最後まで最も仲が悪かった。しかし、虎谷沙織は緒方純子ほどは虐待されておらず、最後まで生き延びた。セックスに関しては松永の最もお気に入りだった。
純子による、父親殺害後の監禁生活中も小学校、中学校へ通学。中学3年で欠席190日。高校へは進学していない。
全裸の写真を撮られ、逃亡した際は雑誌やネット上にばら撒くと脅される。また、ばら撒くことに同意する念書も作成させられていた。
2002年2月15日深夜から3月6日早朝にかけ、小倉北区東篠崎一丁目のマンションの一室に少女Aを監禁し、純子は首をひもで絞めたり、殴るけるの暴行を加え、少女にペンチを渡し「自分で足の爪(つめ)をはげ」と命令。右足の爪をはがさせるなど虐待を続けた。これが義理の祖父を通じ、警察へ通報する最後の虐待であった。次は自分が殺される番と悟ったのだろうか、マインドコントロールが解け祖父へ助けを求めた。なお、少女殺害の後は純子の自殺で完全犯罪を計画していた。98年現在17歳、2010年29歳。
供述前に「私が法廷で証言したら、二人が飛び掛ってくるかもしれない」「二度と世の中に出てこれないようにしてほしい」と祖父に話した。
公判の証言はビデオカメラを通じ別室で行われた。

どうして少女A虎谷沙織は逃げなかった?

純子から「今度逃げたら、お父さんのところに連れて行くよ。簡単なことなんぞ」「逃げても、探偵を使って探し出すよ。見付けたら打ち殺すよ」などと恫喝されていた。
一方で、純子に全ての責任を負わせ自殺させた後は「緒方純子を捨てて俺と逃げよう」と松永に言われていた。
「生活養育費として緒方純子から借用した2000万円につき、利息と元金最低5万円の合計金額を毎月支払う。逃走した場合借用金は4000万円になる」旨の金銭借用証書を作成させた。
身体に通電し「血判状を書いてもらわないといけんね。カッターで指を切って、血で『もう逃げません』と書いて。切らんのやったら電気を通すよ」などと脅し、沙織は自らその右手示指をカッターナイフで切らせ、その血で「もう二度と逃げたりしません」などと書いた誓約書を作成させた。

虎谷沙織の逃げる前の状況

「5分以内に右足親指の爪を剥げ」「あと1分しかないぞ」などと申し向け、自らラジオペンチでその右足親指の爪を剥離した。
純子により首を洗濯紐で絞められ、その後も連日のように、身体に通電されていた。
「18歳になったら風俗譲として働いて今まで育ててやった費用を返せ」と松永、純子に顔を殴られていた。

虎谷沙織が逃亡できた要因

常に愛していた父親の写真を携帯していた。監禁、通電されながらも常に希望を失わなかった。そこが緒方一族との違いといえる。

虎谷沙織の夢

美容関係の専門学校へ行く。
18歳になったら車の免許をとりたい。
ワープロの勉強をはじめたい。
児童相談所を出て、普通の生活に戻りたい。
2007年現在、26歳の時、機械工場で働きながら一人暮らし。精神的には落ち着いているが、楽しげな家族連れをまぶしそうに見つめ「親子っていいね」とつぶやいたという。

虎谷久美雄の姉(仮称虎谷千草

虎谷久美雄の死亡の後、松永から結婚詐欺の被害にあう。なお、監禁や拷問などはまだされていない。

祖母誉(の母)

事件の直接の被害者ではないが、緒方家を知る上で重要人物。
緒方家で一番力があり、理恵子へは子供の頃から躾に厳しく口うるさかった。
嫁にあたる静美ともずっと不仲、嫁姑のケンカが絶えなかった。

信販会社所長桂五郎(仮称)

松永の経営するワールドと加盟店契約を締結していた信販会社柳川営業センター所長。ワールドの事務所に呼び付けて接待し、昼間から飲酒させて、その姿を写真やビデオに撮影して弱みを握られる。桂に対し「写真を本社に送る」などと脅した上、ワールド顧客の信用審査を甘くしたり、契約の決裁を早くしたりするように働きかけた。

事件のその後

弁護士は福岡県警の捜査本部に対し「少女Aが、父は二人(両容疑者)に殺された」と供述している点について「少女は虚言癖がある」と全面的に否定。
さらに弁護士は「警察の捜査は少女の話をうのみにした勇み足ではないか」と語った。
弁護士によると、両容疑者は「部屋の合鍵や現金などを渡し、買い物にも行かせていた」「少女は普段から自分の顔を自分で殴ったり、ペンチで体をつねったりする自傷癖があり、手の爪(つめ)をはがす癖もあった」などと話し「監禁、傷害は成立しない」と全面否認。
一審で松永、緒方純子ともに死刑。二審では松永、死刑。緒方純子に無期懲役。
松永は「殺害の指示も実行もしていない」と一貫して無罪を主張。
純子は当初の黙秘から「どのような刑でも、全て受け入れる」と前面自供に転じる。
純子は「首謀者松永による絶対的な服従関係により責任総力はなかった」と無罪を主張。
裁判官は「松永の支配から逃れる機会はあった」「主体性を失ったとはいえないが、松永なくして犯罪はなかった、事件の解明に協力した」として一審の死刑を破棄して無期懲役に。
元最高検検事土本武司は全ての裁判を傍聴した上で「実行行為をした(純子の無期懲役は)妥当な量刑とはいえない」と批判している。
純子は女性団体(家庭内暴力の被害者を救う会)から支援を受けている。
死刑制度の反対を訴える団体からも支援を受けている。
ネットの書込みでは「松永は三度の死刑でも甘い」「松永は通電してから死刑にするべき」「殺された人を思えば、純子も死刑にするべき」など厳しい意見が多い。
ネットの掲示板で松永と純子に接見した女性の書込みがあった。
松永の印象は「記憶力が良く、他の分野でも大企業の管理職など成功できたはず」
純子の印象は「自分のことよりも人のことを思いやれることができる素敵な人です」
純子は「自分の遺骨は残さないで欲しい」と接見した女性に言っている。
現在、松永、緒方純子の子供二人は石丸の姓を名乗っている。経緯は不明。名は一樹(仮称)北九州市内の児童保護施設に在籍。
公判中、冒頭陳述で一度、息子二人の実名を読み上げた。これは「被告人両名の身上」で「1993年1月に長男~を96年3月に次男~をもうけるなど夫婦同然の関係にあった」と陳述したため。これに対し、緒方純子が「どうして、私の子の実名が出なければならないのでしょう?被害者の方は名前が伏せられています」と語り、次に、松永太が迫力のある大声で「子供のことについては、純子が言うように、問題があるんじゃないですか!」と同調した。
結果、裁判長が「これからは長男、次男とします」となり、検察官も「松永には前妻とのあいだに長男があり、そのため名前を出したが配慮にかける面があった」と釈明した。

松永純子の息子、双子の生活

少女A(仮称虎谷玲子)は小倉北区泉台一丁目のアパートで、保護された男児四人の世話をしていた。その際、松永は外出先から男児に携帯電話で少女Aの様子を尋ね、面倒見が悪いときなどは男児に「(少女を)たたけ」と、たびたび命令。少女Aが抵抗すると、純子は通電を加えたとされ、17歳の少女Aは以後、世話をしていた5歳の男児の暴力に耐え続けたという。
久留米市には緒方容疑者の住民票が残され、93年と96年に生まれた二人の男児が記載されている。学齢期を迎えた男児の小学校入学手続きはとられていなかった。この二人の姓名は、児童相談所に保護された自称「いしまるかつき、九歳」「いしまるまなぶ、五歳」とは違うという。しかし県警は、年齢の一致点などに注目。保護された二人が緒方容疑者の子どもの可能性もあるとみている。その後DNA検査で確定する。
長男は母親である純子に対しても背中を殴るなど松永から指示され、暴行していた。
長男は松永逮捕時、小学4年生だが、就学経験がないので3年生から就学した。長男は「人生をやり直したい。0歳からやってみたい」と話した。
虎谷久美雄がスノコの檻に監禁されている前で松永の子供の誕生会などを開催していた。
西川直美(仮称37歳2002年当時)は、夫と双子と佐賀市内で生活していたが、夫の暴力から、2000年夏に双子を連れて家出。北九州市内で仕事を探し、立ち寄った同市内の飲食店で(偽名野上恵子と名乗る)緒方純子と知り合った。野上は身の上話をよく聞いてくれた。野上は「私も夫とは不仲」と話をあわせ、共通の悩みからメール交換をするうちに野上(純子)を信頼するようになる。直美はその後、徳山市内の飲食店に就職したが、仕事と子育ての両立が難しくなる。2001年8月から双子(当時5歳)を野上恵子(緒方純子)に預けていた。双子と、松永との息子の世話のため小倉北区泉台のアパートを借りる。純子は周囲に怪しまれないように西川の双子にお母さんと呼ばせていた。少女A(仮称虎谷沙織)も双子の世話をしていた。
ここで双子に虐待があったかどうかは不明。なお、西川直美(仮称)はここで双子が育てられていることを知らなかった。直美は養育費ではなくて、必要経費として15万円から20万円を緒方に渡していた。毎月の経費の受取には少女A(仮称虎谷沙織)も同席した。
虎谷少女が警察に逃げ込み、松永、純子が逮捕されると北九州市児童相談所(八幡東区)により双子は保護される。母親は約三時間にわたり交渉、息子二人への面会を求めたが「母親である証明がない」「手続き上、会わせられない」などの理由で面会を拒否される。

双子と母親のその後

2002年3月14日、西川直美(仮称37歳2002年当時)の面会が実現。直美が純子に預けてから半年。短い時間だったが、二人はうれしそうな顔を見せ、「今度はパパと一緒に会いに来てね」と願ったという。親の都合で事件に巻き込まれ、いたいけな胸を震わせてきた二人の小さな望みは、果たして実現するのだろうか。十三日午前、児童相談所は「息子たちに会わせてほしい」と訪れた母の要求を拒絶した。午後、再び交渉したが結果は同じ。「弟に仕事を休んでまで来てもらったのに…」。佐賀市在住の父親(37)が十日に面会を済ませていただけに、直美は「なぜ」と落ち込んだ。冷たい仕打ちのように映った相談所の対応だが、会わせる方向での準備も進められていた。母の写真を撮影し、まず父に、次に双子にも見せて母であることを確認。こうして14日午後、面会が実現した。面接室に入った母は息子を一人ずつ抱きしめ「重くなったね」と絶句。おもちゃ遊びや母が持参した絵本に夢中になる二人を見ながら「元気だった?」「いっぱい食べてるの?」と問いかけた。その間、約30分。別れ際、母が「また会いに来るね」と話しかけると、一人が言った。「今度はパパと一緒に来てね」だが、現時点でその実現は難しい状況だ。母は「息子たちを引き取りたいが、夫に会うつもりはない」と言う。一方、父も二人を引き取る意向を示し、相談所は「親権をめぐって家裁での調停もあり得る」と話す。その争いが決着しない限り、相談所での生活が続く見込みだ。面会した当時(2002年4月)双子は小学生になる。2010年現在、中学1年生。

偽名について

監禁のマンションの契約には松永は桜井と虎谷少女の伯母名義で契約。虎谷少女の祖父(69歳2002年現在)に対しては松永は宮崎、緒方容疑者は森、双子の母親には野上恵子と名乗る。
松永純子の子供も「いしまるかつき(9歳2002年現在)」「いしまるまなぶ(5歳同)」と偽名で生活させている。子供は両親を「おじちゃん、おばちゃん」と呼んでいた。
偽名の付け方は病院の受付で自分に年齢が近い同性の保険証を盗み、盗んだ保険証の氏名で他人になりすます。賃貸マンションは盗んだ保険証の氏名で契約した。

布団販売業ワールドについて

松永は昭和60年4月ころ、銀行から父親名義で約5000万円の借金をして事務所兼自宅ビルを新築する。また、複数の女性と交際するなどの派手な生活。ワールドの経営はますます苦しくなり、多額の借金を重ねた。従業員らに指示して、名義貸契約や架空人名義契約を繰り返させた。従業員ら自身や親族、知人名義で複数の金融機関等から多額の借金をさせ、ワールドのの債務の支払に充てさせた。
松永は昭和61年ころから緒方純子ををワールドで事務員として稼働させるようにな
り、松永の前妻と共にワールドの事務所兼自宅ビルに居住させた。純子も松永のために役に立ちたいとの思いから、ワールドのために、自ら複数の金融機関から多額の借金をしたほか、両親や親族らに対し、金を無心したり寝具の購入や名義貸契約を締結させたりした。
ワールドの事務所で従業員らに対し、販売実績が上がらないなどの理由で、手拳、電話帳、バット等で殴る、足蹴りするなどの暴行を加えたほか、正座させた状態で足を踏み付ける、喉に手刀を打ち付ける、「四の字固め」をかける、指を反らす、白米やインスタントラーメンだけの食事を強いる、大量の白米を無理に食べさせる、食事時間を制限する、3日間くらいの絶食を強いる、水風呂に入れるなどの暴行や虐待を日常的に繰り返した。
緒方純子も、松永から直接、あるいは松永の指示を受けた従業員から暴力を振るわれた。
緒方純子自身も松永の指示を受けたときはそれに従い、従業員らに対し暴行や虐待を加えた。
松永は、昭和60年5月ころ、従業員明石(仮称)が従業員桂(仮称)に対し電気コードを二股に割き、むき出しにした針金を腕等に当てて通電したと聞き知るや、自らも同様の方法で、中田、坂田、前田(すべて仮称)ら従業員らに対し、その手足、胸、背中、肩、顔面等に通電した。
次第に通電は従業員らが相互に進んでするようになった。
従業員らは、松永を怖れ、常に松永の機嫌をうかがって行動するようになる。
また、松永が従業員相互に暴力を振るわせたり、互いに監視させたりしたことから、
従業員らは相互不信に陥り、互いに密告を怖れて共同して松永に反抗することがで
きなかった。このように、ワールドの従業員らは松永に逆らうことができず、松永は従
業員らを意のままに従わせて支配した。

参考資料心理学的考察

ウィキペディアにURLあり。
学習性無力感
長期にわたって、ストレス回避の困難な環境に置かれた人は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという見解。学習性絶望感ともいう。
スタンフォード監獄実験
普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験。
ミルグラム実験
権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したもの。

補足公判記録

第8回公判にて
国選の松永弁護団による主任弁護士による被告人質問
弁護士「虎谷久美雄さんが亡くなった原因は?」
松永「風呂掃除をしているとき、壁に頭が当たり、床に転び頭部と腹部を打ったためです」
弁護士「誉さんの死因は?」
松永「純子が通電しているとき、誉さんが倒れるのを目撃したけど、殺意はなかったと思う。私自身は『緒方家のことやけん、お前たちで話さないか』と言っただけでもちろん、殺意はありません。誉さんは高圧ガスの取り扱い免許を持っているので収入が期待できた。生きていて欲しかった」
弁護士「緒方静美さんの殺害は?」
松永「私は殺害現場をみていないけど、理恵ちゃんが『夫が母を殺した』と教えてくれた。誉さんを殺したのは純子だから、そのことを静美さんが口外するのを恐れていた。静美さんはてきぱきした人で私の右腕だから殺害を指示することはありません。しかし、私と静美さんは男女の仲だったので純子の実母への恨みが現れていた。」
弁護士「緒方理恵子さんの殺害は?」
松永「主也さんとは過去の理恵ちゃんの男性関係のことで不仲だったから、北九州のビジネスホテルで妻の首を絞めて殺そうとしたことがあります。理恵ちゃんは美人でクラブ勤めをするとナンバーワンになれる。活躍してもらうつもりでいたから私に殺す理由などない」
弁護士「緒方主也さんの殺害は?」
松永「前日まで元気で、私が大分県中津市の運転手役を務めて。待ち時間の間てんぷらウドンの食べすぎでおかしくなった。私に殺意はないです」
弁護士「緒方優貴くんの死亡は?」
松永「後で純子から『彩と二人で首を絞めた』と聞いた。私の指示や誘導はありません。優貴くんの実家は孫をかわいがっていたので優貴くんを帰せば金を出してくれる。しかし、純子は『いずれに優貴に復讐される』と恐れていました。」
弁護士「緒方彩さんの死亡は??」
松永「純子と沙織が私が指示や誘導したことはありません。彩ちゃんは美人だから将来は利用価値がある。15歳になったら京都の舞妓さんにするつもりでいた。何千万円も得られるから、私に殺す理由はないです。むしろ純子が彩ちゃんの口を封じたがっていた」
弁護士「7人の犠牲者のうち死体を見たのは?」
松永「虎谷久美雄さんと緒方誉さんだけです。他の人の解体で話し合ったのは内蔵を煮込む鍋の火の調節のことなど」
弁護士「二十年、緒方純子と暮らして二人の関係は?」
松永「夫婦ですが、日本の伝統的な雷オヤジと家長を併せ持ったような感じです」
弁護士「純子はあなたの言うことを聞いていたか?」
松永「聞くときもあれば、聞かないときもある。聞かないときはゲンコツで殴るか、通電する。通は秩序維持型でしつけの意味がありゲンコツと同じです」

第11回公判にて
検事「浴室にある窓はどうしていた?」
緒方「光が外に漏れないように黒いビニール袋で覆っていた。松永の指示です」
検事「まず、虎谷久美雄さんの頭部を切り離したのですか」
緒方「はい」
検事「まず、頭蓋骨を切開した?」
緒方「いいえ、まず頭部を胴体から切り離す方が先でした。」
検事「頭部をどこに置いたのですか?」
緒方「ポリバケツに入れて蓋をして浴室の床か、浴槽の中に置いた」
検事「誰が脳を取り出しましたか?」
緒方「私が手にとり、頭蓋から取り出しました。そのときは松永も来ており、虎谷沙織も浴室内にいました」
検事「マンションの浴室は狭いでしょう?」
緒方「いつもそう思っていました。虎谷久美雄さんを解体した経験から、浴槽に遺体を入れて作業をする方が楽でした」
検事「脳みそを入れたバケツに内臓も入れましたか?」
緒方「柔らかい部分だからそうしたと思います。久美雄さんは最初だから色々、試行錯誤しました。その後の緒方一家のように合理的にやれなかったのです」
検事「虎谷久美雄さんの脳に血は付いていませんでしたか?」
緒方「はい。血は見ていません」
検事「どの時点で見たのですか?」
緒方「イメージとして頭頂部を切り開いて脳を取り出したように映るかもしれませんが、素人が普通の道具でするのは難しいので、下あごの部分から切ったのです」
検事「脳が見ましたか?」
緒方「まだ見えません。自分にできるところからやろうと思い切れるところから切ってったのです」
検事「どうやったら?脳が見えたのですか?」
緒方「もう少し切り離して私が脳を見たのは自分の手で取り出してからです。頭蓋骨の中に収まっているのを眺めたのではありません」
検事「脳に血が滲んでいるのは、手で取り出してみて初めて分かった?」
緒方「はい。見た時間はそれほど長くはないです。手にしたの脳は柔らかくて、触るとボロボロに崩れそうだから『死因は脳障害だろう』と思いました」
検事「形が崩れていましたか?」
緒方「ずいぶん用心して取り出したから、形をなしていたように思います」
検事「その時、虎谷沙織も横で見ていたのですか?」
緒方「浴室内にいたと思いますけど、よく覚えていません」
検事「洗面所に立ってみていた松永は?」
緒方「私が見た脳の状態について、きちんと松永に報告しています」

第12回公判にて
検事「松永は虎谷久美雄さんは浴室で転んで死亡したといっているが?」
緒方「いいえ。そんな話は聞いていません」
検事「久美雄さんの脳を最終的にはどうやって取り出したのですか?」
緒方「薄い膜を剥がすようにして下顎から取り出したのです。下部から切った頭部を逆さにしてお椀を持つようにしました」
そこで検察官が取調室で松永が描いた虎谷久美雄さんの頭部を切開したときの脳の状態のスケッチを証言台の緒方に示した。
検事「松永は『脳に血糊がべったりついていた』と説明文を付けているが?」
緒方「実際に私が見たものと、全く違っています」
この絵では頭頂部を切り開いて、脳の状態を示していますね。それで両目が上部についています。
緒方「私は下顎から脳を取り出したので、この絵は上下が逆です。全く状況が違うから図鑑か何かを見て描いたんじゃないですか?」
検事「あなたが脳障害を疑ったのはなぜでしょうか?」
緒方「死ぬ前に変な言動があったからです。正常な脳を取り出したことがないので私には分かりませんが、密度が濃くなくてボロボロだったから、現実とリンクさせて、そのように感じたのです」
検事「脳の一部が腫れる、へこんでいたとか?」
緒方「それはなかったと思います。下から切ったので大脳しか見ていませんけど」

緒方「覚えているのは薄い膜から剥がすような形で脳を取り出しました。頭を逆さまにして、お椀のようにして、そこから取り出しました」
緒方「手にした脳はもっと密度が濃いというか、引き締まったものだと思っていたのに、触ったときに『えっ、こんなにボロボロなの』と思った」

緒方「自分が生んだ二人の子供たちに恥ずかしくないように、私がしたことを包み隠さず正直に話して、きちんと刑事責任を取りたいと思います」
検事「久美雄さんを解体するとき(当時)3歳の長男は?」
緒方「マンションの和室で松永に面倒を見てもらっていました。ある時期から作業のメドが立てば他の用事もしていたのです。色々な工程がありますのでね」
検事「溶かした内蔵などペットボトルに入れて外へ捨てに行ったのですか?」
緒方「出産の直後までそうしていました。何しろ初めてのことですので1ヶ月弱かかりました」
検事「それで全てが終了した?」
緒方「いいえ。全てが終了するのは出産した後でした。『煮込み』と申しまして鍋の中に骨と歯が残っていたから海に投げ捨てました」
検事「骨などを海に投げ入れるとき松永とあなたと沙織の三人で話したことは?」
緒方「弔いの意味ですね。解体そのものがそうですし、『海に投げるのは水葬である』と」
検事「久美雄さんの解体で髪の毛はどうしましたか?」
緒方「頭皮をはいだものに毛が付いており、それを虎谷沙織がカミソリで剃りました。剃った後の皮膚に傷とか出血はありませんでした」
検事「頭蓋骨は?」
緒方「綺麗な形をしており、それを虎谷沙織が切り刻む」
検事「あとの6人の頭髪は?」
緒方「まとめて溶かしました。松永が考えたことで毛髪を溶かす洗浄液があります」
検事「肉をミキサーにかけてドロドロにしましたよね?」
緒方「久美雄さんのときは切り刻み、ジョウゴでペットボトルに入れました。ミキサーを使用したのは緒方家の解体のときからです」
検事「主婦の知識としてですか?」
緒方「いいえ。久美雄さんの時から内臓はミキサーにかけましたが、緒方家のときから、松永の指示で肉もミキサーにかけました」
検事「なぜ、松永はそれを知っていたのですか?」
緒方「わかりません」

第17回公判にて
検事「久美雄氏の食事時間は16分、19分、23分と細かく制限されていた。どうしてこんな中途半端な時間なのか?」
松永「食べる時間を見計らったまでのことです」
検事「なぜ、食事時間を制限したのか?」
松永「もっちら、もっちら食べよるわけですからね。どこもそうやって約束事やルールがあるんじゃないですか」
検事「あなたは衰弱した久美雄さんに粗相してしまった大便を食べさせたことを認めましたね?」
松永「本人は大便やないと言いよったんですよ。後で正露丸飲ませよったんですけどね。大便やないち、言い張ったから」
検事「小便や鼻くそ、吐寫物まで食べさせ、風呂場で寝起きしていた久美雄さんに厳冬期なのに水シャワーを浴びせた」
松永「愛情だと思います。水シャワーは風邪をひかんようにするためです」

第20回公判にて
17歳で保護された少女A仮称虎谷沙織が初めて証言台へ立つ。裁判所は「ビデオリンク式」を採用した。別室で、裁判官と弁護士検察官とモニターで向き合うが、傍聴人被告人とは顔を合わせない。
検察官「学校から帰宅後、父親が亡くなったとき、すぐに解体作業をしたのですか?」
少女A「いいえ。松永と純子と3人で和室で酒を飲みました」
検察官「あなたは、当時11歳で小学5年だったでしょう?」
少女A「以前から、松永にビールを飲まされていました。私自身はちっとも美味しいとは思わなかったけど」
検察官「その時、松永は何か持っていましたか?」
少女A「殺人マニュアルという本を私たちに見せました。死んだ人の写真とか絵とか。外国人のようでしたけど、よく覚えていません。大学ノートよりちょっと大きな本で、他にも数冊ありました」
検察官「それで何を最初にしたのですか?」
少女A「松永が『まず、血抜きをしよう』と言い、緒方純子と私が二人で首と手首の血管を切り、血を流しました。それをシャワーで水をかけ浴室で洗い流すのです」
検察官「血を流す切り込みは?」
少女A「緒方と私が、一緒に包丁を持って切りました。初めに切込みを入れたのは緒方だと思います」
検察官「切込みを入れた部位は?」
少女A「首です」
検察官「どうして、そういうことになったのでしょうか?」
少女A「緒方と松永に言われて、私も包丁の柄を握りました。二人で一緒に持ち切込みを入れたのです」
音声で証言を聞いた司法記者の印象「19歳にしては幼い気がした」
10歳から17歳まで実質的に監禁されていて小中学校も欠席がちに通って社会生活は無きに等しい。だから幼い声には説得力があった。

第45回公判にて
殺人罪などに問われた緒方純子被告(42)は、共犯の松永太被告(43)が、緒方被告のめいの彩(あや)さん(死亡時10歳)に対して行っていた通電虐待について、「(一連の殺人事件を)他人に漏らさないための指導と思っていた」と証言した。
 松永弁護団の質問に、緒方被告は「彩ちゃんは、松永から通電される度に『何も言いません』と繰り返していた。将来、監禁生活から解放するための指導と思っていたので、頑張ってほしいと思った」と述べた。
その後に松永被告が緒方被告に「(遺体を解体する時に)彩ちゃんが太っていたら大変だから、あまり食べさせなくていい」と話し、殺害をほのめかすようになったという。

第50回公判にて
。緒方純子被告(42)の家族5人が生前、共犯の松永太被告(43)と交わした会話の録音テープを検察側が証拠として提出、法廷で再生された。
 検察側は「会話は松永被告が常に主導しており、家族を支配していた一端がうかがえる」と話している。
テープの録音時間は7分15秒。緒方被告の父誉(たかしげ)さん(死亡時61歳)らが、松永被告の指示で借金したことをめぐり、ほかの親族とトラブルになったことを記した書面を、松永被告が家族に読ませたり、質問したりしており、緒方被告のめいの彩(あや)さん(同10歳)は「今は平成9年10月6日午前1時です」と答えていた。両被告が暮らしていた小倉北区のマンションにあったという。

第53回公判にて
殺人罪などに問われた松永太被告(43)は、共犯とされる緒方純子被告(42)の母静美(しずみ)さん(死亡時五十八歳)と妹理恵子さん(同三十三歳)の殺害について「自分の知らないところで緒方被告が主導した」と、改めて関与を否定した。
 弁護団の質問に、松永被告は「緒方被告が、妹婿の主也(かずや)さんに対し『(二人の殺害は)松永被告から内諾を得た』と話していた。実際には内諾していないが、主也さんは緒方被告を信じて二人の首を絞めた」と述べた。

第54回公判にて
殺人罪などに問われた松永太被告(43)は、緒方純子被告(42)について「自分を共犯に巻き込もうとして、うそをついている」と非難した。「(同居していた人々が次々に殺害されるという)同じ事実を体験しているのに、緒方被告らと異なる主張をするのはなぜか」との検察側の質問に対して答えた。
緒方被告のおいの優貴(ゆうき)君(死亡時五歳)殺害について、監禁被害の少女(現在は二十歳)が「松永被告から足を押さえるよう直接指示された」と証言していることも、「少女がうそを言っているか、勘違いしているだけ」と否定した。

第56回公判にて
殺人罪などに問われた緒方純子被告(42)は、一連の殺人事件への関与を否認する松永太被告(43)について「見苦しい」と非難した。
 検察側が緒方被告に「(松永被告から殺害を指示されたとする)あなたの供述と松永被告の供述で、食い違いが多いことをどう思うか」と質問したのに答えた。
 さらに、「松永被告に罪を押しつけて量刑を軽くしたいなどと考えているか」との質問には、「そういうつもりはありません」と述べた。
 松永被告は、これまでの公判で「緒方被告が自分を(共犯者として)巻き込もうとうそをついている」などと供述している。

第57回公判にて
殺人罪などに問われた緒方純子被告(42)は、一連の殺人事件の黙秘をやめる意向を共犯の松永太被告(43)に弁護士を通じて伝えた際、松永被告から「死刑になりたくないから、(黙秘を続けて)助けてほしい」との返事があった、と証言した。
検察側の質問に対し、緒方被告は「めいの彩ちゃん(死亡時十歳)殺害容疑で逮捕された二〇〇二年九月当時、実行犯の自分の方が責任が重いと思っていた。正直に話せば、実行犯でない松永は死刑にならないと考えて『黙秘をやめる』と伝えた」と述べ、「死刑になりたくない」という弁護士の伝言は「意外だった」とした。さらに、「公判を松永被告と分離せず、一緒に法廷に立っているのはなぜか」と尋ねたところ、「公判を通じ、松永という人間を見定めたいと思った。自分の口で真実を話してほしいと思っていたが、見苦しい言い訳を重ねており、ぶざまだと思う」と批判した。

第61回公判にて
松永太(43)と緒方純子(42)の両被告に殺害されたとされる緒方一家の親族三人と、監禁被害に遭った女性(20)(事件当時未成年)の祖父母が初めて証人として出廷した。
緒方被告の叔父(59)は、昨年七月に営まれた一家六人の告別式で、遺体が一人もないため、空の骨つぼに写真を入れたと証言。「松永被告への憎悪が日に日に増していく。死刑にしてほしい」と怒りをあらわにした。一方、監禁被害女性の祖母(74)は「両被告とも被害者にひどい虐待を加えており、極刑にしてほしい」と述べた。
検察側は、緒方被告のめいの彩(あや)ちゃん(死亡時十歳)の殺害方法について、通電による電撃死としていたのを、電気コードを使った絞殺と訴因変更した。

第62回公判にて
殺人罪などに問われた松永太(43)、緒方純子(42)両被告に殺害されたとされる緒方被告の妹婿、主也(かずや)さん(死亡時三十八歳)と長女彩さん(同十歳)、長男優貴君(同五歳)の遺族三人が証言した。
主也さんの母親(73)は、主也さんに初給料で買ってもらった腕時計を身につけ、他界した夫の遺影をそばに置いて証言。「(緒方被告は)母親なのに、なぜ孫まで殺害したのか」と非難した。
主也さんの兄(47)は主也さん一家の遺骨や家族全員の写真がないため、合成した集合写真に毎日、手を合わせていると明かした。
弟(41)は「両被告は極刑にしてほしい」と訴えた。

第65回公判にて
殺人罪などに問われた松永太(43)、緒方純子(42)両被告に監禁、暴行された女性(43)の証人尋問が行われた。女性は尋問中、動悸(どうき)が激しくなり、途中で中止された。
 女性が心的外傷後ストレス障害(PTSD)で現在も通院していることから、法廷外の別室にカメラを置き、モニターを通して尋問が行われた。
暴行を受けた際の質問に対し「考えるのもおぞましい。松永被告の姿はこの世のものと思えない」と話したところで言葉が続かなくなり、尋問は中断。再開後も体が硬直して話せず、三度目の中断時、付き添いの臨床心理士が「今すぐ病院に搬送したい」と述べ、打ち切られた。女性はこの際、「もう一言だけ話したい。松永被告を極刑にしてほしい」と話した。
起訴状などによると、女性は、一連の殺害事件が発生する前の一九九五年夏から松永被告と交際。結婚をほのめかされ、九六年十月に同市小倉南区のアパートで、緒方被告らも含めて同居するようになり、翌九七年三月に逃げ出すまで、通電などの虐待を受けたとされる。

第67回公判にて
殺人罪などに問われた松永太被告(43)は、共犯の緒方純子被告(42)との間にもうけた長男(11)と二男(8)について質問され、初めて公判で涙を見せた。
松永被告の弁護団が「緒方被告は公判で『(一連の殺害事件後に)松永被告から、子供二人を殺害したうえで、自殺しろと指示された』と話しているが本当か」と質問。松永被告は涙を流して「子供のことは本当にかわいいと思っている。緒方被告はうそをついている」と答えた。
さらに、身柄を拘束されて子供に会えないことについて「自分が望んでいることではない。いつか会うことが出来れば」と声を震わせた。

第69回公判にて
殺人罪などに問われ、否認を続けている松永太被告(43)は、共犯の緒方純子被告(42)の家族ら七人が殺害されたことについて、「(自分は殺害に関与していないので)正直に言って、非常に迷惑している」と述べた。
裁判官が「(小倉北区のマンションで)一時は一緒に生活していた七人が、次々に亡くなったことについてどう思っているか」と尋ねたのに答えた。
さらに、「(被害者への)通電による虐待は残酷な行為ではないか」との質問には、松永被告は「共同生活の規律を守るためで、学校の先生のげんこつと一緒。残酷だとは思わない」と反論した。
検察側はこれまでの公判で、一連の殺害事件は松永被告の指示で、緒方被告らが実行したと主張。松永被告は「指示したことはない」と関与を否定している。

第72回公判
殺人罪などに問われた松永太(43)、共犯の緒方純子(42)両被告に対する実質的な審理が終了した。
監禁致傷罪などについての両被告の初公判は2002年6月に行われ、03年5月の第3回公判から殺人罪での審理に入った。
7件の殺人事件について、松永被告側は傷害致死罪の適用を求めた1件を除き、無罪を主張。緒方被告側は5件の殺害を認め、2件は傷害致死罪の適用を求めている。
論告求刑公判は3月2日、緒方被告側の最終弁論は4月27日、松永被告側の最終弁論は5月11日。判決は早ければ6月にも言い渡される見通し。

2005年3月2日 論告求刑公判

7人の命を奪い、殺人罪などに問われた松永太(43)、緒方純子(43)両被告の主張が真っ向から対立する中、検察側は326ページもの論告を用意し、「遺体なき大量連続殺人事件」の核心に切り込んだ。2002年6月の初公判から2年9か月。満員となった福岡地裁小倉支部の廷内は緊迫した空気に包まれ、遺族らは法廷や自宅で怒りに身を震わせながら求刑を待った。
緒方被告は午前10時過ぎ、地裁支部2階の204号法廷に白いセーターにジーンズ生地のジャンパー、黒いスカート姿で入廷した。傍聴席に視線を向けた後、長いすに背筋を伸ばして着席した。
続いて松永被告が紺のスエットウエアを着て入廷。含み笑いを浮かべながら緒方被告とやや離れた席に座り、傍聴席にはまったく目を向けなかった。
検察側の論告が始まると、緒方被告は真正面をじっと見据えて聞き入った。松永被告は渡された論告書を手に、検察官の言葉を一語一語確認するように目で追ったり、ペンで書き込んだりした。上体を前後に揺すり、落ち着かない様子も見せた。
少女時に両被告から監禁の被害に遭った女性(20)の祖父(72)も傍聴席に座り、硬い表情で聞き入った。
1月26日の第72回公判まで時間の許す限り傍聴したが、なぜ残忍な犯行が繰り返されたのか、今も理解できない。前日の1日には「真実を話そうとしない松永被告をたたきのめしたいと何度も思った。犯行を止められなかった緒方被告も同罪。2人とも死刑以外は考えられない」と怒りをあらわにしていた。
北九州市小倉北区の監禁連続殺人事件の論告求刑公判が2日午前10時5分から、福岡地裁小倉支部(若宮利信裁判長)で始まった。殺人罪などに問われた松永太(43)、共犯の緒方純子(43)両被告に対し、検察側は「被害者を金づるとし、利用価値がなくなった後に殺害した」と指摘した。午後の論告読み上げ終了後、それぞれ極めて厳しい刑を求刑するとみられる。4月27日に緒方被告側、5月11日に松永被告側の最終弁論が予定されており、判決は早ければ6月にも言い渡される。
両被告が起訴された殺人事件は緒方被告の家族ら計7件。松永被告は緒方被告の父誉(たかしげ)さん事件を傷害致死罪の範囲で認め、残る6件については無罪を主張。緒方被告は5件の犯行を認め、「すべて松永被告の指示だった」としており、両被告の共謀関係の立証が最大の焦点となっていた。
検察側はこの日の論告で、「善悪のたがが外れた発案者(松永被告)と、その指示にひたすら従う忠実な実行者(緒方被告)として、車の両輪と言える関係」と指摘。犯行は両被告が一体となって行ったと強調した。
監禁被害女性の父殺害では、「金づるとしての利用価値が喪失し、足手まとい以外の何物でもなくなった」と動機を説明。「浴室で勝手に転んで死んだ」とする松永被告、「死ぬとは思っていなかった」とする緒方被告を「見るも無残なほどに衰弱した女性の父に虐待を加え続ければ、健康を害し、死に至ることは十分に予見していた」と厳しく非難した。
 さらに、遺体解体について「わが国の犯罪史上例を見ないほどに完ぺき」としたうえで、「髪の毛1本たりとも残さない徹底ぶりは場当たり的な思い付きの産物ではなく、殺害が以前から周到に計画されていたことを示すもの」と計画性を指摘した。
一連の殺害指示を否定する松永被告のこれまでの供述については、「時には死者を冒とくする内容さえ含むなど、この期に及んで言語道断。不自然かつ不合理な変遷を繰り返しており、取るに足らない弁解だ」と切り捨てた。
そして、松永被告を「誉さんの遺体解体を家族に行わせることで犯罪者意識を持たせた後、順次、緒方一家を家族で殺害させるという悪魔のごとき発案をした」と批判。緒方被告についても「しばしば松永被告の指示に抵抗したが、最終的には忠実に遂行しており、共同正犯としての刑事責任を負うことは当然だ」と述べた。
初公判は2002年6月に開かれた。しかしその後、殺人容疑での逮捕が相次いだため、公判期日を延期。03年5月の第3回公判で殺人罪の審理が始まった。最後の殺害事件の起訴は同年6月。最終起訴から2年以内の1審判決を目指す裁判迅速化法に基づき、同年10月からは週1回のペースで集中審理し、これまで72回の公判が開かれている。

福岡高裁傍聴記

日時

2007/05/14 1000~16時すぎ

場所

福岡高裁 501号法廷

罪状

監禁致死、詐欺、強盗、殺人(認定罪名 傷害致死)
検察官から緒方へ質問がはじまりました。
なんとなく、高裁の検察官(裁判官もですが)はロボットめいた感じで、もう争いなんてないだろう、ハイ棄却という無気力なイメージがありますが、こちらの検察官は質問とかけっこう熱心で、地裁の検察官みたいです。
傍聴しているほうも熱が入ります。
「12月4日に出されたナカタニ教授の鑑定、、意見書の中にあなたとの問答がありますが、それに対して質問します。
鑑定書の中に、『松永に対する認識、感情の変化』という項目があるのですが、その中に『松永を見限ったきっかけ』と記載された箇所それについてくわしく説明してくれますか」
どうも、緒方の精神状態をどこかの教授が診察?面談して、鑑定書にまとめているようです。「母のこと、松永の口から話してくれるのではないかという期待がありました」
期待とは何か?という問いには
「どうしてこういう事件が私がやったことに間違いないけど、なぜ、こういう事件に
なぜ母が松永の言いなりに、父も反抗もせずに取り込まれていったのか分からないんです。松永が話さない限り何も真相が分からなくて、松永が話してくれるんじゃないか、って、本当のこと知りたくて、期待していたんですが、松永は都合の悪いことは言わないだろうと思って」要するに松永が何も話さなかったことに対して失望したようです。

検察官が続けて質問します。
「いや私もね、なぜ緒方一家が取り込まれていったのかが知りたいんですが、また、それに対して、なぜあなたは傍観してたのか?
松永が長崎に住んでいる(?)と言って、金を無心してたの知ってますよね。それも合わせて松永が緒方家から借りたお金は1550万円以上になるんですよ。
あなたそれ知ってましたよね?知ってたのに、傍観してたの、どうしてだろう?」
検察官は、なぜ緒方が松永にずっと従ってきたのか、そこのところを知りたいようです。

緒方 「簡単には説明できないですけど言い訳になるので」
検察官 「あなたも、この場でたくさん言いたいことあるだろうと思うんですよ」
緒方 「分かりません」
検察官 「由布院を出るときのこと聞きますけどね」
緒方は一時松永のところから逃げ出して湯布院の温泉宿で住み込みで働いていましたが、緒方一家と松永の芝居で連れ戻されます。
芝居の内容は検察官があとから述べます。

検察官 「私の聞きたいのは、形としては、暴力に耐え切れず逃げてきた、それで、ちょっと手紙読むと」まず、その手紙の前に、松永の遺書が読まれ、次に、緒方が温泉宿を出る時に、お世話になった宿の方にあてた手紙が読み上げられました。

検察官 「遺書の内容はね『まさか俺が死ぬとは思わなかっただろう、でも本当だ。俺は死んだらお前の中に入っていくことができる、そしてずっとお前と子供を守っていく』、、、
あなたが湯布院の宿を出て行く時に女将にあてた手紙の内容は『今はこうなってしまって人は笑うかもしれませんが、でも、私も主人も、やっぱり愛しているのだと思います。
おなかが張って苦しい時があったのですが、そのとき彼が私の中に入ってきたのだと思いました』」

緒方 「それは、創価の集会出たとき、具合悪くなって、当時、そう思って」
検察官 「(遮って)私のひっかかるのは、ここ!!『やっぱり愛しているのだと思います』これ当時の心境?」
緒方 「分かりません女将に本当のこと言えないから、もちろん本当の事書けないけど、、、擬似的なものだったのかもしれません」
検察官 「松永が死んだと聞いて戻りますよね?」
緒方 「タクシーの中で、ホントかな、と思ったんですが」
検察官 「ところがそれが、うそだった。緒方一家が狂言を演じ、押入れの中に松永が入ってて、飛び出してきて乱暴したんだよね?家族は遺書を読み上げたりなんだ、うちの家族は!という怒りや恨みをね、普通なら感じるのではないですか?」
緒方 「なかったです松永がそういう風にすれば、みんなそうなるというのは、自分も経験してるし、家族もそうなるのが分かるので
家族にも迷惑かけたから申しわけないという気分もあるんですが、自分でもよく分かりません」
検察官 「松永があなたの家族から1500万以上借りて、さらに3000万の金を無心していたのを傍観してたのは、その辺に原因があるの?」
緒方 「違います松永に余計なことを言えない、逆らえない、どうなるか分からないという恐怖があり、それで傍観していました。逆らわないのが賢明だと思って、そのようにしてたから、、、周りに関しても、そう思っていました」

検察官 「湯布院事件の頃、松永はまだ緒方一家に暴力ふるってなかったですよね?
あなたが思っている感情と、一家が思っている感情は、違うと思うんですが」
緒方 「ワールド(布団詐欺会社)の頃からそうなんですけど肩書きのある人を言いなりにしてきたのを見てるので、どんなことを家族に話しているのか分かりませんが、そういう状況で家族を責められないです」
検察官 「もっとさかのぼって、第4回公判でのあなたの供述松永の暴力をなぜ家族に相談しなかったのかと言う質問に『相談したら迷惑になると思ってた』と答えてますよね。
実際相談して迷惑かかったことあるの?」
緒方 「先に相談した事実はないですが、勝手に思っていたわけでもありません。。。
私は叔母に松永のことを話したことによって、叔父や叔母に松永が電話を入れ、浮気してるんじゃないかとか、電話させられた事実がありました(この辺いつの出来事かよく分かりませんでした)関わり合いになった人はみんな迷惑すると思い込んでいました。当時は私の裸のポラとか、松永の手にあって、もう先がないと思ってました。暴力も耐え難かったすごく見張られているような気がしていました」

鎖で繋がれているわけではないのになぜ監禁現場から逃げ出せなかったのか、なんで家族を殺しちゃったのかと思うと思うのですが(私もそう思います)、そこの、監禁されたことがない人間からすると一番分からないところ、この事件の核心に、徐々に近づいている感じがします。緒方が握られていた弱みは裸のポラですが、緒方の母親、静美さんは松永と肉体関係にあったこと、緒方の妹、理恵子さんは高校時代に中絶したことが松永に知られてしまったことが、家族の中での大きな弱みになったのでは、と緒方は証言していました。
松永はこのように家族の弱みを握り、家族をコントロールしていたようです。

また緒方は妹が婿養子を取って家を継いだことに対して負い目を感じている、松永が「緒方は別府で人を殺した」というウソをついており、そのことが家族にとって「殺人者の娘をかばってくれている」という負い目になったのではと証言していました。

続いて、なぜ由布院から連れ戻された時に緒方は家族に対して本当のこと(暴力を受けていたり松永が詐欺の前科を持っていることなど)を話さなかったのかという質問になりました。
緒方 「由布院か、門司かからもどってきて、妹だけしかいなかったんです。話して助けてもらえるかというと、そうではないし」
検察官 「妹から話してもらえるのではと思わないの?」
緒方 「松永の話につられて芝居までして私を連れ戻したので、私のことを信用してくれるとは思ってなかったのと、本当のことを話すのが恐かったです。松永に対する恐怖心が強かったんです」
検察官 「湯布院事件の直後は、まだ松永の取り込みはそんなに大きくない時期ですよね?何か言えたのではと思うんですけどね?」
緒方 「恐かった家族がいない間に集中して通電受けてるんで、恐かったです」

また話は飛び、緒方の事件に対しての記憶の程度についての質問になりました。
父親の誉さんが通電されるきっかけになった出来事については記憶がないそうです。
緒方 「記憶がないので翌分からないです。。。冷蔵庫のことで私が責められて、風呂上りだったので、体が濡れてたらよく電気が通るので、よく拭いて、怖いっていうのは覚えています。前に通電で気絶した時も体が濡れてたので」
緒方は一連の流れの中で、記憶のない箇所がいくつかあります。

続いて通電の話になりました。
通電で失神した人は他にもいる、また、緒方の目の前に鉛筆を突き立てられ、「今度倒れたらこれで口をあける」と言われ倒れられないようにプレッシャーを受けた、唇にクリップをつけられて通電されたこともあり、他の家族も同様の方法で通電を受けたことがあると証言していました。

左陪席裁判官からの質問になりました。
左陪席裁判官(以下 左)「答えにくいかもしれませんが、、、なぜ、暴力を、付き合い始めてから加えられていたのに、松永から逃げることができなかったのか、、、長い期間思ってたことと、今思ってることは多分違うかなと思うんですね。区別して言えるのであれば、当時はこう、今はと言えるようであれば行ってほしいんですが」
緒方 「当時は松永に負い目がありました。私のために全て犠牲にしてくれていると受け取ってました。一途な松永の気持ちを裏切っていたということで暴力を受けたので、甘んじて受けてた受けるのはもちろん初めてですし、いやで、恐かったです。逃げたいという気持ちも確かにありました。でも、私自身の性格として、暴力が恐いから逃げる、とか、できないとこあって、それで、受け入れていたと思います。
あとは、今ノートみて思ったんですが、その頃ひどい暴力受けてたけど、それとは別に優しい言葉をかけていました愛してると言ってみたり、暴力と交互に繰り返されてました。そうなると我慢しなきゃと思ってたと思います。当時の記憶として、暴力を受けるから逃げるのは卑怯だと思っていたのは間違いないです。今は、騙されてたってこと、分かるけど、当時はそれが分からなかったです」

左 「負い目についてですが、、、松永が歌をあきらめるというエピソードの他にはありますか?」
緒方 「自分で会社おこして、大きくしていってと、話聞いてたんですが、それをお前のために辞めるって言って、、、会社辞めてどうするの?って聞いて、それで音楽って言ってて、心配しなくていいって話をしてたんですが、最終的にそれも諦めるってなって、私のせいで、、と思っていました。あとは私が家を出れないって言ったら、やめて、養子に行くと言いました」
左 「そのようなことが負い目となって逃げられないというのがよく分からないんですが」
左 「暴力も愛情だと思っていたんでしょうか?」
緒方 「ある一定の時期まで」
左 「自殺未遂以降も松永と一緒にいようと思った要因には何があるんでしょうか?」
緒方 「未遂の前に、10年っていう言葉がありました10年我慢すれば、暴力なくなるんじゃないかって問題起こして、10年くらいしたら忘れてくれるかも、とただ私の素行で暴力を受けてたから、分かってもらえれば受けなくなるだろうと思っていました」

緒方の素行が悪いんじゃなくて松永がおかしいんだよと思いますが、緒方は今でも素行が悪いと思っているのでしょうか

左 「自殺未遂以降も愛してたんですか?何をされても我慢しようと?」
緒方 「愛してるかどうかっていうのは今振り返るとずるい部分もあったと思います。写真があったし、刺青入ったりして(緒方は松永に命令されて自分の太腿に『太』と刺青を入れています)、普通にしてたらできないと、一般的な結婚ができないと、一生日陰者だと思ったので」
左 「それで、松永についていくと思ったんですか?」
緒方 「たぶん」

左 「なぜ松永から逃げられないと思ったんですか?」
緒方 「新しい家庭を築くのが不可能だと思いました小さい頃から養子をもらってと言われてたから、私自殺までして、こういうことあって、そういう人間に、養子に来てくれる人はいないと思いました。
結婚できないなら、松永とって思う部分があったけど、松永からは『お前とは結婚しない』って言われてました」
左 「なぜ別れなかったんですか?」
緒方 「そのとき、サインした書面に、私からそれを言ったら、写真をどう使われても文句いえないって書いてあったので」

脅迫されていたようです。

「松永から離れたら何をされるか分からないっていう、漠然とした不安がありました」

検察官から再び質問があり、主也さんがなぜ取り込まれたか分かる?と聞かれましたが
「私もよく分からない危機感なく、一緒に過ごしているときに、少しずつ、松永支配っていうんですか?進んでいって、逆らえなくなって、その中で漠然とは分かるんですが、そこまでなぜ?と言われると、普通で考えられるような動機付けができないです」

緒方がちいさな声で、ゆっくりと供述している間、松永はずっと変なメガネをかけてそわそわしながら書類を見ていました。

論告書より

緒方一家の暮らしぶりは昼夜の逆転した生活。一家六人は台所で雑魚寝させられ、平均睡眠時間は3、4時間だった。起きている間は台所に立ち続けなけていなければならない。トイレの使用は松永の許可制で、しかも一日1回。小便はペットボトルにさせられ、大便する際、便座に尻をつけることは許可されなかった。食事はごく少量で一日1回。時間制限されたうえ食事する際は全員、床に尻をつけることも許されなかった。違反すると通電暴行をあえて他の緒方一家の面前で行い、見せつけていた。通電を受けているものをかばった者は松永の次なる対象とされた。松永は誉氏に塩を山盛りにした米飯を食べさせたり、優貴君をのぞく全員に対しサディズムの象徴ともいえる乳首や性器への通電行為を行った。

論告書より

気丈なところがある静美さんの抵抗を警戒した松永は、まず浴室に閉じ込めて静美さんに
通電虐待を集中させた。食事や水を拒否し、衰弱著しい静美を純子は主也、理恵子と
一緒に首を電気コードで絞め殺害した。「松永は主也さんに『お前が絞めろ』と名指しで言い、理恵子には『足を押さえなさい』と言ったと記憶しています」(純子証言)
静美さんの遺体の解体は98年2月上旬までに終了した。緒方の供述によれば「静美が便秘していたため腸内に多量の便が詰まっていたことと、皮下脂肪が多くて切りにくかったと理恵子がこぼしていたということが印象に残っている」

公判記録より

マンションの部屋は10畳ほどのリビングと隣接する6畳二間に分かれている。浴室の窓という窓は黒のビニール袋で厳重に目張りされた。久美雄氏が死亡した翌日緒方純子と沙織さんの二人で包丁、ノコギリ4、5本、鍋、消臭剤などの解体作業の道具を買った。解体作業のほとんどの場合、まず死体の首を切り落とし、体温に近い湯槽の中に身体を浸し血抜きを十分に行った。次にその身体を切り刻み、肉のブロック片にして臓器類と一緒に大鍋で煮た。
そうして骨と肉を分離した後に骨はさらに細かく切断してクッキーの空き缶へ、煮汁と肉片
はミキサーで攪拌し「焼肉のタレのような」(松永証言)ドロドロの液体にしてペットボトルに詰め替えられた。最初に解体された久美雄氏に限り、作業完了までに一月かかっている。

松永の供述

松永の供述によれば「あるとき久美雄さんのまわりに大便らしいものが落ちていました。これは大便ですかとたずねると『いや違います』と。では食べられるのですねというと『はい、食べれますよ』と意地をはって本当に食べてしまいました。決して強要したわけではありません」

松永の供述

「私(松永)はこれまでに起こったことは全て他人のせいにしてきました。私自身は手を下さないのです。なぜなら、決断をすると責任をとらされます。仮に計画がうまくいっても、成功というのは長続きするものではありません。私の人生のポリシーに『自分が責任をとらされる』というのはないのです。(中略)私は提案と助言だけをして旨味を食い尽くしてきました。責任を問われる事態になっても私は決断をしていないので責任を取らされないですし、もし取らされそうになったらトンズラすればよいのです。常に展開に応じて起承転結をかんがえていました。『人を使うことで責任をとらなくて良い』ので一石二鳥なんです」
 無類の女好きである松永に若手美人検察官が投入され、調子にのってこのポリシーを雄弁に語ったらしい。

詐欺については容疑

松永は詐欺については容疑を認めており「詐欺は最高のテクニック」と豪語している。松永には多数の愛人がいたが、まだ暴力を受けていない女性は「あの人がそんなことをするはずがない」といっていたという。どんなにささいな愚痴話も真剣にきいてくれたという。
実際、亡くなった静美さんも「あの人(誉)は世間体ばかり気にして」と松永に家族の愚痴話をしている。また理恵子さんにしても、主也と結婚する前に違う男性と間の子供を堕胎していたという話を松永にしている。理恵子の大親友にさえもしていなかった話を松永は聞き出しており、松永のその才能に驚くばかりである。

供述調書

中学3年時の担当
「目立ちたがり屋でワンマン、リーダー的存在。周囲に有無を言わせず声が大きく、威圧感を
与えるタイプ。『俺はいつでも松下幸之助と連絡が取れる』とか、すぐにホラを吹きました。取り巻き連中を作り悪さも取り巻きにさせていました。家庭訪問をしようとしても、うちは話すことがないからと断り続けれので結局行くことができず、両親がどんな人なのかわかりません」
と話している。

公判記録虎谷久美雄殺害の状況

マンションの部屋は10畳ほどのリビングと隣接する6畳二間に分かれている。
浴室の窓という窓は黒のビニール袋で厳重に目張りされた。虎谷久美雄が死亡した翌日
緒方純子と虎谷沙織の二人で包丁、ノコギリ4、5本、鍋、消臭剤などの解体作業の道具を
買った。解体作業のほとんどの場合、まず死体の首を切り落とし、体温に近い湯槽の中に
身体を浸し血抜きを十分に行った。次にその身体を切り刻み、肉のブロック片にして臓器類
と一緒に大鍋で煮た。そうして骨と肉を分離した後に骨はさらに細かく切断してクッキーの空き缶へ、煮汁と肉片はミキサーで攪拌し「焼肉のタレのような」(松永証言)ドロドロの液体にしてペットボトルに詰め替えられた。最初に解体された虎谷久美雄に限り、作業完了までに一月かかっている。

メイン芳華の階下住人の証言

遺体は包丁やノコギリで切り刻まれ、大鍋で煮込まれたうえ、ミキサーでドロドロになるまで攪拌。この煮込み作業の間、台所から終日、レバーを煮たような匂いが漂った。
犯行現場になったマンションの住人たちは深夜から明け方まで続く物音やノコギリをひくような音、そして凄まじい異臭と下水管の詰まり、ゴキブリの大量発生などに閉口している。
さすがに堪り兼ねて階下にすむ男性が一度、苦情を伝えたところ、夜中に、その男性の部屋の前に小便をされるという嫌がらせが何度も続いた。
間抜けなことに小便の跡には長さ約26cmの男性の靴跡が残され、松永らの住む階上の部屋(303号室)まで点々と続いていたという。「男がおろうも!出て来いっ!!」激怒した男性は33号室のドアを蹴り上げ怒鳴りつけた。
小便事件、階下男性の抗議行動からほどなくして今度は階段の踊り場など誰かが大便をして放置するという事件が起こった。「明らかに犬のものやない。こりゃ、もう変質者の仕業やけね。もう、いら事は言うなと・・・・松永はいつも薄汚れた恰好をして、ジャンパーを着て帽子を深くかぶってた。怒鳴り込んだときは、トイレの方に隠れて出てこんかったね」

最終意見陳述

平成17年5月18日公判の一審結審前には最終意見陳述が行われた。とても真に迫る内容なので、以下緒方被告のその全文を引用したい。
「松永と過ごした20年間は、社会から離れて生活していました。そのせいか逮捕されて身柄を拘束されても、特に不自然は感じませんでした。でも私が松永から精神的に開放されるまでには、長い時間かかりました。当初は自分の殻を頑なに守っておりましたが、一日一日いろいろなかたと接し、挨拶に始まり、会話を重ねるうちに、少しずつ心が穏やかになるのを感じました。おかげで私はかわることができ、松永の呪縛から逃れることができました(捜査員、検察官、弁護人の名前をひとひひとり読み上げる)それらの人との出会いがなければ、今の私はありませんでした。深く感謝しております。20年間で失った自分を、3年間で取り戻せました。本当にありがたいと思っています。私はすべての真実を知っているわけではありません。また一人一人の心のうちを知っていたわけでもなく、まして、その本当の辛さ苦しさを分かっていたともいえません。それでも亡くなった被害者のお一人お一人のことを、できるうるかぎり話す義務があると思い、代弁者になろうと公判で話してきました。そしてそれは、亡くなられた方々の無念を晴らすまでにはいたらなくても、ほんの少しの慰めることになるのではないかとという償いの意味もありました。いま思うとすべてが異常でした。今の私は、あの当時の自分が信じられません。どうしてあんなことができたのだろうと思いますが、私が自分で犯した罪には違いありません。私には二人のこどもがおります。これから一生を通じ、広く世間の皆様に育てていただくことになります。彼らが生きてゆく社会がよりよいものであって欲しい。そして、その思いは今、すべての子供たちに向かっております。子供が巻き込まれた事件を耳にするたびに、わが身を苛まれ、いたたまれなくなります。どうか子供たちを取り巻くこの社会が、少なくとも子供たちにとって安全で、より良いものであって欲しい。私は優貴くんと彩ちゃんのことをよく考えます。そして自分の罪の重さと悔悟の念からそれを切に願うようになりました。人生をやり直すことはできませんが、自分のこの罪を通して私も何かできないかと思っております。もちろん、私の自己満足に過ぎないのですが、時間の許す限り、このような私にもできる事をこれから考えていこうと思っております。振り返りますと、たくさんの方に御迷惑をおかけし、傷つけてきました。ワールド時代の頃のことも私の消えない罪です。本当に申しわけないことをしたと悔いております。また虎谷沙織さん、横山明美さんにも心からお詫び申しあげます。それから御遺族の皆様、そのお心に計り知れない、そして生涯消えることのない傷を負わせてしましましたことを大変申しわけなく思っております。そして亡くなられた方々に深くお詫びいたします。私の罪が、この命ひとつで償えるほど軽いとは思っておりませんが、どうぞそれでお許しください。最後にこのような大それた事件を起こしましたことで、広く世間の皆様に御迷惑をおかけいたしましたことを心からお詫びいたします」

松永の最終意見陳述

「死刑になるのを覚悟して供述してるのだから、緒方純子の言うことは信用できるという『純子神話』が作られた・・・・この裁判はイメージが先行して判決も出来上がっているのではないでしょうか?裁判が証拠に基づいて判決を行うものであることを、はっきり示して欲しい」

松永二審の死刑判決に対し

松永被告は、終始、落ち着かない様子。「責任を緒方被告に転嫁し、自分だけが罪を免れようと計画していた」「真摯(しんし)な反省は全く見られない」。判決で厳しく指弾されても、硬い表情のまま。緒方被告の量刑朗読部分になると、大きく首を振り、メモを取る手を早めた。閉廷後、弁護団に「証拠の評価を誤っている。不当判決だ」と興奮した様子で語り、法廷を後にした。
松永被告の弁護人も記者会見し、「緒方被告の無期懲役判決に驚いた。松永被告は控訴審で、緒方被告の供述は自らの被害者性を強調するものと主張してきたのに、緒方供述の信用性がほぼ認められたのは大いに不満」とした。

緒方二審の無期懲役について

緒方被告の弁護団は閉廷後に記者会見し「正直ほっとした。判決は事件の背景事情などをつぶさに検討した結果で、評価できる」と述べた。緒方被告については「極刑を覚悟していた部分もあると思う。今後、松永被告の支配から逃れて従来の人格に戻るにつれ、しょく罪の気持ちがより強まるのでは」と述べた。

福岡高裁緒方純子の弁護士古賀美穂

一審死刑から、二審無期懲役の判決が出た直後のコメント。
緒方純子は「かなり、思いがけない部分もあり、今現在、頭が真っ白な状態である」と語る。
判決内容を精査して上告するかどうか決める。

減刑の嘆願書

二審判決では776人もの減刑嘆願が福岡高裁に送られた。
福岡市を拠点に活動し、署名運動の中心となった「ぐるうぷNO!セクシュアルハラスメント」の石本宗子さん(55)は「緒方被告はDVの被害者」と訴える。緒方被告が松永被告から長年にわたり、通電などの虐待による支配を受け、外出や排せつまで制限されていたことを挙げ、「寝ること、食べることすら自分で選べず、追いつめられた中で殺害への加担を余儀なくされた」と話している。

元最高検検事土本武司

全ての裁判を傍聴した上で「実行行為をした(緒方純子の無期懲役は)妥当な量刑とはいえない」と批判している。

事件その後地裁両被告死刑に対して

佐木隆三(作家)の見解。
検察官の職責は、起訴した事実を証明し、その犯情に照らして、裁判所に処罰を求めることである。今回の論告求刑公判は、大変わかりやすく、理路整然としていた。この難事件を解明した努力に、公判を傍聴し続けた者として、敬意を表したい。
 しかし、松永太被告を首謀者で主犯と断定した上で「不可欠な実行犯」の緒方純子被告と、刑事責任に差異がないとの主張は、納得することができない。
 論告によれば「被告人両名は、善悪のたがが外れた発案者と、その指示にひたすら従う忠実な実行者として、車の両輪と言える関係となり果てていた」と。とはいえ1台の馬車なら、ムチを振るう御者と、ひた走る馬ではないか。知り合って20年余り、幼稚園の教諭だった女性は、サディストの男性から、人間扱いされていなかった。
 私が裁判所へ通った理由は、「なぜ緒方被告が親族を6人も殺害したのか」を知りたいためだった。その疑問は2003年10月から始まった集中審理で、両被告への被告人質問が回を重ねるにつれて氷解した。まさに先述のように、ムチを振るう御者(この場合は通電行為)と、ひた走るしかない馬の関係だった。
 このように虐待された緒方被告に、罪を犯さないことが期待できただろうか。私は法律の実務家ではないけれど、むしろ「裁判員」のように「国民の健全な常識の反映」として、両被告が共に死刑という求刑に、異を唱えたいのである。

福岡高検、死刑判決の基準を示した最高裁判例に違反するとして上告

 北九州市小倉北区の監禁連続殺人事件で殺人罪などに問われ、福岡高裁の控訴審判決で死刑から無期懲役に刑が軽減された緒方純子被告(45)について、福岡高検は「死刑判決の基準を示した最高裁判例に違反する」として上告する方針を固めた。同高検は5日にも最高検と協議し、最終決定する。
 9月26日の福岡高裁判決は1審福岡地裁小倉支部の判決と同様の事実認定をした上で、松永太被告(46)については死刑とした1審判決を支持し、控訴を棄却。緒方被告については「暴力、虐待の影響で正常な判断力がある程度低下していた」と認定し「緒方被告の情状は松永被告と格段の差がある」と結論付け、1審判決を破棄し無期懲役を言い渡した。
 これに対し、高検は高裁判決が緒方被告の責任能力を認め、6件の殺人罪と1件の傷害致死罪という犯罪史上まれにみる重大な犯罪を認定しながら、情状面を評価して無期懲役とした点を重視。4人連続射殺事件の永山則夫元死刑囚(犯行時19歳)に対する最高裁判決(1983年)、山口県光市の母子殺人事件の最高裁判決(2006年)で示された犯行の罪質や被害者の数などの死刑選択基準に違反すると判断した。

緒方被告が拘置所で愛読している本

『それでも人生にイエスと言う』
実存分析を創始した精神医学者として知られるフランクル。第二次大戦中、ナチス強制収容所の地獄に等しい体験をした彼は、その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展開した。本講演集は、平易な言葉でその体験と思索を語った万人向けの書であり、苦悩を抱えている人のみならず、ニヒリズムに陥っている現代人すべてにとっての救いの書である。

松永への手紙

814-8503福岡市早良区百道2-16-10
福岡拘置所 松永太様 で手紙を出せる。
松永には専属の刑務官が付いている。
2009年の春に松永の父親は逝去した(死因は公表されず)母親は連絡がつかず行方不明。2歳上の姉(公務員)も心労気味。

雑誌などの接見記事

月刊「創」2005年12月号「小倉監禁殺人事件被告緒方純子さんと会って」甲木京子

最高裁判決の予定

2010年7月現在、期日未定。問い合わせは最高裁(℡03-3264-8111 内2462)

テレビ報道

当時、少女が未成年ということ、事件があまりにも残酷であったことを総合的に判断して、放送局が自主規制するようになった。

犯罪被害者給付金訴訟 2008年8月01日読売新聞

北九州市の監禁連続殺人事件で父親を殺害され、自らも監禁された女性(24)が、犯罪被害者給付金を不支給とした福岡県公安委員会の裁定を不服として、裁定の取り消しを求めた審査請求について、国家公安委員会が棄却していたことが分かった。
女性側は、裁定取り消しを求める行政訴訟を福岡地裁に起こすことを検討する。
福岡地裁小倉支部の1審判決(2005年9月)などによると、女性の父親は1996年2月に殺害された。監禁されていた女性は02年に逃げ出し、1審判決後の06年2月、県公安委に給付を申請した。
県公安委は昨年3月、「女性の申請は父親の死亡時から約10年が経過しており、請求権が消滅する除斥期間(7年)を過ぎている」として不支給と裁定した。
これに対し、女性側は〈1〉この事件では申請に必要な死亡診断書や死体検案書などが存在しない〈2〉女性は監禁されていて物理的に申請できなかったと指摘。
「申請の権利を行使できなかった場合、請求権は存続していると考えるべきだ」として同年4月、国家公安委に審査請求していた。
この事件などを受け、国は給付金の申請期限に特例を認め、今年7月から改正犯罪被害者等給付金支給法を施行した。
 改正法ではやむを得ない理由で申請できない場合は、その事情解消から6か月以内は申請できるようになった。

犯罪被害者給付金 2008年12月18日読売新聞

北九州市の監禁連続殺人事件で父親を殺害された後、自らも約6年間監禁された女性(26)の犯罪被害者給付金の申請について、制度上の申請期限を過ぎたことを理由に不支給とした福岡県公安委員会の裁定の是非が問われた訴訟の判決が8日、福岡地裁であった。
 高野裕裁判長は「女性には期限内に申請できなかった特別な事情があった。申請期限を当てはめるのは、被害者を救う制度の趣旨や正義の観念に著しく反する」と指摘し、県公安委の不支給裁定を取り消した。
 判決によると、原告女性は、10歳だった1995年から父親と一緒に松永太被告(49)らと同居。女性の父親は96年2月に死亡し、女性は2002年3月、市内のマンションから逃げ出し、事件が発覚した。松永被告らの刑事裁判で、05年9月の1審判決は、父親が殺害され、女性も監禁されていたと認定。この判決をもとに女性は06年2月に申請したが、翌年3月、県公安委が不支給とした。
 犯罪被害者等給付金支給法は、申請期限を「死んでから7年、犯罪被害による死亡を知ってから2年」と規定。今回の訴訟で県公安委側は「申請時に父親殺害から10年も過ぎており、申請権はなくなっていた」と主張した。
 高野裁判長は、7年の期限を申請権そのものが消滅する除斥期間、2年の期限を時効ととらえた。7年の期限については、松永被告が犯行を否認しており、1審判決が出るまで、女性には父親が殺害されたことを証明する方法がなかったと指摘。「権利の行使が客観的に不可能で、除斥期間は適用されない」と判断した。
 さらに、2年の期限について、時効起算点は、父親死亡の96年ではなく、法的に殺害が認定された05年の1審判決時とした。「女性は被告らに強く支配され、自分のせいで父親は死んだと思い込まされており、逃げた後も、すぐには申請できなかった」と述べた上で、申請は期限を過ぎておらず、県公安委の処分は違法と結論付けた。

犯罪被害者給付金訴訟 2010年7月09日読売新聞

北九州市の監禁連続殺人事件で父親を殺害され、自らも監禁された女性(24)が18日、福岡県を相手に、期限を過ぎて申請したことを理由に犯罪被害者給付金を不支給とした福岡県公安委員会の裁定取り消しを求め、福岡地裁に提訴した。
 女性の父親は1996年2月に殺害され、女性は2002年に監禁状態から抜け出した。05年9月の福岡地裁小倉支部判決で父親殺害が認定されたことを受け、女性は06年2月、県公安委に給付金を申請した。
 しかし、県公安委は、犯罪被害者等給付金支給法が申請期限を「犯罪被害が発生してから7年」と定めていることを根拠に不支給を裁定。国家公安委員会も女性の審査請求を棄却した。
 訴状などで、女性は、殺害から7年以内の申請は不可能だったと主張。理由として〈1〉監禁状態にあった〈2〉死体検案書など、父親の殺害を証明する証拠がなかった――ことを挙げている。
 女性を支援する弁護団によると、給付金が認められた場合、父親は死亡時に無職だったため、額は300万円超になるという。弁護団は、受刑者らのしょく罪寄付からなる県弁護士会の基金を訴訟費用に充てる。
 県弁護士会館で記者会見した弁護団長の東敦子弁護士は「被害者を救済するのが法の趣旨。今回のケースは、申請したくてもできなかった人を形式的な法律解釈で支給できないとしたもので問題がある」と話した。

犯罪被害者給付金訴訟 2010年7月22日読売新聞

北九州市の監禁連続殺人事件で父親を殺害された後、自らも監禁された女性(26)が申請した犯罪被害者給付金を巡る訴訟で、福岡県公安委員会は22日、県公安委の不支給裁定を取り消した福岡地裁判決を不服として、控訴することを決めた。
 県公安委は、控訴せず女性の申請を特別に認めると、他の申請者との間で不均衡が生じかねない、と判断したとみられる。
 今月8日の地裁判決は、県公安委が犯罪被害者等給付金支給法の申請期限を過ぎていたと判断したことについて「女性には期限内に申請できなかった特別な事情があり、期限を当てはめるのは、被害者を救う制度の趣旨や正義の観念に著しく反する」と指摘。不支給裁定は違法とした。
 女性の弁護団は15日、「女性の生きていく希望を壊さないでほしい」として、県公安委に控訴断念を求める申し入れ書を提出していた。